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三閉伊一揆 さんへいいっき

百科事典マイペディアの解説

三閉伊一揆【さんへいいっき】

江戸時代,盛岡藩で起きた百姓一揆江戸時代後期に商工業が盛んになった三閉伊通(太平洋沿岸の一帯)では,藩が専売制を強化し,臨時に御用金を課したことに対して,1847年に農民・漁民1万数千人が蜂起,藩の重臣のいる遠野(とおの)に強訴し,要求を認めさせた。

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世界大百科事典 第2版の解説

さんへいいっき【三閉伊一揆】

江戸末期,盛岡藩で起こった1847年(弘化4)と53年(嘉永6)の二つの百姓一揆。盛岡藩領の太平洋沿岸一帯を三閉伊通と呼び,農業生産力は低かったが,近世後期には商工漁業が盛んになった。財政窮乏の藩は,役人をふやして専売制を強化し,臨時の御用金を課した。これに抵抗して農漁民1万数千人は47年冬,弥五兵衛を惣頭人として藩重臣の南部弥六郎の城下遠野へ強訴し,要求を認めさせたが藩によって裏切られ,牢死,流刑者もでた。

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世界大百科事典内の三閉伊一揆の言及

【三浦命助】より

…20歳のときから太平洋岸沿いの三閉伊通(さんへいどおり)と呼ばれる農漁村を回って,農産物や海産物の荷駄商いをおこなう。1853年(嘉永6)1万余の百姓が藩政を批判,藩主の交替まで求めて隣領へ逃散し仙台藩主へ越訴(おつそ)した三閉伊一揆に加わり,指導者の一人として活躍。終息後,村の老名(おとな)役についたが村内の紛争をきっかけに捕らえられ,逃走して仙台藩領で修験者として暮らす。…

※「三閉伊一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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