佐々木弥五兵衛(読み)ささき・やごべえ

朝日日本歴史人物事典 「佐々木弥五兵衛」の解説

佐々木弥五兵衛

没年:嘉永1.6(1848)
生年:天明2頃(1782)
弘化4(1847)年盛岡藩一揆の指導者。陸奥国下閉伊郡(岩手県)盛岡藩領下岩泉村切牛の上層百姓出身。万六などとも名乗る。壮年になってから村々を巡り,米の作柄を調査して年貢減免願書を作成し,村人にかわって訴願する公事師活動を始めた。藩の政策に批判をもち,全領728カ村の9割近くを十数年間にわたり勧誘,弘化4年一揆の総頭人になった。塩を馬の背につけ農家に泊まり雑穀との交換商いをしながら説得を続け,「小本の祖父」と慕われた。一揆は成果を得たが,藩の一時逃れをゆるさないため再び遊説を開始,「百姓は天下の民」と述べ,仙台越訴,江戸越訴を訴えた。影響を恐れた藩は,嘉永1(1848)年弥五兵衛を捕縛し,夜中に牢の前で斬首し,牢死と触れた。<参考文献>茶谷十六『安家村俊作』

(深谷克己)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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