日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐々木長淳」の意味・わかりやすい解説
佐々木長淳
ささきながのぶ
(1830―1916)
近代的養蚕技術導入の先駆者。福井藩士。1857年(安政4)洋式兵器の技術者として藩の製造方大砲小銃火薬船舶頭取(とうどり)となる。明治維新後、上京して工部省に出仕、養蚕業務をつかさどる。1873年(明治6)ウィーン万国博覧会に派遣され、オーストリア、イタリア、スイスで養蚕・製糸・紡績技術を学び、翌1874年帰国、内務省勧業寮の内藤新宿試験場で蚕業試験を開始した。1877年、群馬県新町(現、高崎市)の屑(くず)紡績所建設を指導、その後宮内省で養蚕御用係を務めた。当時の主要輸出産業であった生糸に関連し、蚕種の近代的検査法を確立した1886年発布の「蚕種検査規則」は彼の功績である。研究には、カイコの害虫のうち被害のもっとも大きい蠁蛆(きょうそ)(カイコノウジバエ)、原生動物によるカイコの病害の微粒子病に関するものが多く、著書に『蚕の夢』『微粒子病の顛末(てんまつ)』がある。
[田島弥太郎]