佐々木忠次郎(読み)ささきちゅうじろう

精選版 日本国語大辞典 「佐々木忠次郎」の意味・読み・例文・類語

ささき‐ちゅうじろう【佐々木忠次郎】

  1. 昆虫学者。近代養蚕学・製糸学の開拓者越前福井県出身。東京大学理科大学卒。東京帝大農学部教授。主著に「農作物害虫篇」。安政四~昭和一三年(一八五七‐一九三八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「佐々木忠次郎」の意味・わかりやすい解説

佐々木忠次郎
ささきちゅうじろう
(1857―1938)

昆虫学者。近代養蚕学、製糸学の開拓者。佐々木長淳(ながのぶ)の長男として福井市に生まれ、旧名は忠二郎。1881年(明治14)東京大学理科大学生物学科第1回生として卒業。以後駒場(こまば)農学校助教授、教授を経て、東京帝国大学農学部教授となり、1921年(大正10)退官して名誉教授となるまで、昆虫学、養蚕学を担当して多くの子弟の育成に努めた。かたわら、日本の昆虫学の黎明(れいめい)期にあって『農作物害虫篇(へん)』『日本樹木害虫篇』『昆虫分類法』『園芸害虫篇』『蔬菜(そさい)害虫篇』『果樹害虫篇』『花卉(かき)害虫篇』など多くの著書のほか、養蚕学・昆虫学上の論文を多数発表し、その発展に大きく貢献した。

田島弥太郎

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20世紀日本人名事典 「佐々木忠次郎」の解説

佐々木 忠次郎
ササキ チュウジロウ

明治〜昭和期の昆虫学者,養蚕学者



生年
安政4年8月10日(1857年)

没年
昭和13(1938)年5月26日

出生地
福井市

学歴〔年〕
東京帝国大学理科大学生物学科〔明治14年〕卒

経歴
駒場農学校、東京農林学校教授を経て、東京帝大農学部教授に就任。大正10年退官して名誉教授となるまで黎明期にあった日本の昆虫学、養蚕学の発展に寄与、多くの後進を育成した。また農作物の害虫を研究し、ニカメイガウンカの生態などを明らかにした。国蝶オオムラサキの属名「ササキヤ」にその名を残す。著書に「日本農作物害虫論」「昆虫分類法」など多数。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐々木忠次郎」の解説

佐々木忠次郎 ささき-ちゅうじろう

1857-1938 明治-昭和時代前期の昆虫学者。
安政4年8月10日生まれ。佐々木長淳(ながのぶ)の長男。一高教授,東京帝大教授。ニカメイガなど農作物の害虫の研究で知られる。国蝶(こくちょう)オオムラサキの属名ササキヤにその名をのこした。昭和13年5月26日死去。82歳。越前(えちぜん)(福井県)出身。東京大学卒。著作に「日本農作物害虫論」など。

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367日誕生日大事典 「佐々木忠次郎」の解説

佐々木 忠次郎 (ささき ちゅうじろう)

生年月日:1857年8月10日
明治時代-昭和時代の昆虫学者。東京帝国大学教授
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐々木忠次郎の言及

【陸平貝塚】より

…霞ヶ浦の西岸に突き出る稲敷台地上の,茨城県稲敷郡美浦村に存在する縄文時代中・後期の鹹水(かんすい)産貝塚。E.S.モースの弟子で大森貝塚の調査にも参加した佐々木忠次郎,飯島魁が,1879年に,霞ヶ浦に淡水貝類の調査に赴いた折にこの貝塚を発見し,発掘したもので,日本人の手になる発掘の第1号として有名である。この成果は大森貝塚の報告体裁を見本とし,《Okadaira Shell Mound at Hitachi》(1882)として刊行された。…

※「佐々木忠次郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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