佐久甲州道(読み)さくこうしゆうみち

日本歴史地名大系 「佐久甲州道」の解説

佐久甲州道
さくこうしゆうみち

古来甲州往還といわれ、中山道の岩村田いわむらだ宿(現佐久市)に発し、野沢のざわ(現佐久市)高野町たかのまち(現佐久町)上畑かみはた(現八千穂村)海尻うみじりうみくち(現南牧村)と千曲川の左岸に沿って佐久郡をおおむね南北に縦貫し、海ノ口よりは野辺山原のべやまはらを越えて平沢ひらさわ(現南牧村)へ抜けて甲州に入り、念場原ねんばはらを通り、南流する須玉すだま川に従って長沢ながさわ(現山梨県北巨摩郡高根村)若御わかみ(神)(現山梨県北巨摩郡須玉町)中条なかじよう(現山梨県韮崎市)を経て甲州道中の韮崎にらさき(現山梨県韮崎市)に達する重要な交通路である。韮崎より更に富士ふじ川に沿って南下すれば駿河国府中ふちゆうに至る。また岩村田より北上すれば小諸こもろ(現小諸市)北国脇往還へつながる。

中世以来東海道筋の人々の善光寺参詣の道であり、佐久の人々にとっては伊勢参宮の道であった。更に戦国期には武田氏の信濃国経略の極めて重要な軍用道の一つで、伝馬を設置していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の佐久甲州道の言及

【信濃国】より

…宿駅は五街道の中山道に1602年,これと下諏訪宿で合流する甲州道中に15年ころ設置された。五街道につぐ信濃の幹線道路では,中山道追分宿分岐の北国往還,同洗馬宿からの北国西往還(善光寺街道),松本からの糸魚川街道がそれぞれ北上し,松本から伊那を南下して三河・遠江に至る伊那街道,中山道と甲州道中を結ぶ佐久甲州道なども重要であったが,これらの街道にも宿駅ないし馬継場が設けられた。宿駅のうち,中山道の岩村田,下諏訪,福島,北国往還の本海野,坂木,善光寺街道の青柳,麻績(おみ),稲荷山,糸魚川街道の池田,大町などは在郷町として発展した。…

※「佐久甲州道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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