岩村田(読み)いわむらだ

精選版 日本国語大辞典 「岩村田」の意味・読み・例文・類語

いわむらだいはむらだ【岩村田】

  1. 長野県佐久市地名中山道の旧宿駅江戸時代内藤氏城下町として栄えた。明治四年(一八七一)、岩村田県としたが、のち長野県にはいる。

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

改訂新版 世界大百科事典 「岩村田」の意味・わかりやすい解説

岩村田 (いわむらだ)

信濃国(長野県)佐久郡の大名陣屋町,中山道宿場町。地名の初出は1447年(文安4)。古代の大井郷中世の八条院領大井荘の中心集落。中世後期には守護小笠原氏の一族大井氏が支配し,その最盛期には民家6000軒,六斎市がたち,国府にまさる繁栄と伝える。甲斐武田氏の支配をへて,1582年(天正10)以後小諸城主依田氏,仙石氏,松平氏領,1682年(天和2)幕府領,1703年(元禄16)以降新封の岩村田藩内藤氏1万6000石の陣屋町となった。他方,1602年(慶長7)中山道宿駅の設置をみ,問屋を常置,1694年(元禄7)東隣小田井宿と一体で定助郷制がしかれた。中山道の宿継荷のほか,佐久甲州道,上州下仁田道等の分岐点として中馬,手馬付通し荷でも繁栄した。1748年(寛延1)の村高2627石余,町並みは表町,甲州道,荒町,柳町,同下道,今宿中町,伊勢町,横町の計43町7間,家数370軒,人口2135人,地子免許の伝馬屋敷116軒半。また1842年(天保13)に旅籠屋8軒,茶屋8軒,太物・荒物商16軒,穀商4軒,その他諸商売39軒。武田信玄尊崇の竜雲寺,本山派修験年行事の法華堂等があり,祇園祭,若宮八幡祭でにぎわった。明治以後北佐久郡政の中心,1954年浅間町,61年佐久市となる。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「岩村田」の意味・わかりやすい解説

岩村田
いわむらだ

長野県佐久市(さくし)の中心集落。旧岩村田町、のち旧浅間(あさま)町。近世、中山道(なかせんどう)の宿駅と城下町(内藤氏)として発展、近代的な商店街をなし、鼻顔稲荷(はなづらいなり)神社がある。JR小海(こうみ)線岩村田駅がある。

[小林寛義]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岩村田」の意味・わかりやすい解説

岩村田
いわむらだ

長野県東部,佐久市の中心市街地の1つ。近世は中山道の宿場町で,内藤氏1万 5000石の陣屋がおかれた。旧岩村田町,次いで旧浅間町の中心市街地で,1961年佐久市の一部となったが,明治以来,佐久盆地北半の行政上の中心をなし,現在も地方行政機関が集中している。商店街は国道 141号線 (佐久甲州街道) に沿う。天然記念物のヒカリゴケ自生地がある。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

事典・日本の観光資源 「岩村田」の解説

岩村田

(長野県佐久市)
中山道六十九次」指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の岩村田の言及

【佐久[市]】より

…1961年浅間町,野沢町,中込(なかごみ)町,東村が合体,市制。当時,浅間町に属していた岩村田は,中世の大井荘の地で,江戸時代岩村田藩の陣屋町であった。明治以降は北佐久郡の行政中心地として発達。…

※「岩村田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

世界の電気自動車市場

米テスラと低価格EVでシェアを広げる中国大手、比亜迪(BYD)が激しいトップ争いを繰り広げている。英調査会社グローバルデータによると、2023年の世界販売台数は約978万7千台。ガソリン車などを含む...

世界の電気自動車市場の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android