信濃国(長野県)佐久郡の大名陣屋町,中山道宿場町。地名の初出は1447年(文安4)。古代の大井郷,中世の八条院領大井荘の中心集落。中世後期には守護小笠原氏の一族大井氏が支配し,その最盛期には民家6000軒,六斎市がたち,国府にまさる繁栄と伝える。甲斐武田氏の支配をへて,1582年(天正10)以後小諸城主依田氏,仙石氏,松平氏領,1682年(天和2)幕府領,1703年(元禄16)以降新封の岩村田藩内藤氏1万6000石の陣屋町となった。他方,1602年(慶長7)中山道宿駅の設置をみ,問屋を常置,1694年(元禄7)東隣小田井宿と一体で定助郷制がしかれた。中山道の宿継荷のほか,佐久甲州道,上州下仁田道等の分岐点として中馬,手馬付通し荷でも繁栄した。1748年(寛延1)の村高2627石余,町並みは表町,甲州道,荒町,柳町,同下道,今宿,中町,伊勢町,横町の計43町7間,家数370軒,人口2135人,地子免許の伝馬屋敷116軒半。また1842年(天保13)に旅籠屋8軒,茶屋8軒,太物・荒物商16軒,穀商4軒,その他諸商売39軒。武田信玄尊崇の竜雲寺,本山派修験年行事の法華堂等があり,祇園祭,若宮八幡祭でにぎわった。明治以後北佐久郡政の中心,1954年浅間町,61年佐久市となる。
執筆者:古川 貞雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
…1961年浅間町,野沢町,中込(なかごみ)町,東村が合体,市制。当時,浅間町に属していた岩村田は,中世の大井荘の地で,江戸時代岩村田藩の陣屋町であった。明治以降は北佐久郡の行政中心地として発達。…
※「岩村田」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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