佐伯孝夫(読み)サエキ タカオ

20世紀日本人名事典 「佐伯孝夫」の解説

佐伯 孝夫
サエキ タカオ

昭和期の作詞家



生年
明治35(1902)年11月22日

没年
昭和56(1981)年3月18日

出生地
東京・京橋

別名
別名=青山 光男(アオヤマ ミツオ)

学歴〔年〕
早稲田大学仏文科〔大正15年〕卒

主な受賞名〔年〕
日本レコード大賞(作詞賞 第4回)〔昭和37年〕「いつでも夢を」,紫綬褒章〔昭和42年〕,日本レコード大賞(特別賞 第11回・22回)〔昭和44年・55年〕

経歴
在学中西條八十に師事して詩作を始め、「白孔雀」などに発表。卒業後、国民新聞社を経て、昭和12年東京日日新聞社に入り19年退社。この間、7年にはビクター専属となり、作詞家として活躍。40年以来、日本音楽著作権協会理事を務めた。代表作に戦前の「さくら音頭」「燦めく星座」「新雪」「鈴懸の径」「勘太郎月夜唄」、戦後の「銀座カンカン娘」「有楽町で逢いましょう」「潮来笠」「いつでも夢を」「再会」など。著書に「青春詩集」「佐伯孝夫詩集」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐伯孝夫」の解説

佐伯孝夫 さえき-たかお

1902-1981 昭和時代の作詞家。
明治35年11月22日生まれ。西条八十(やそ)にまなぶ。国民新聞記者をつとめるかたわら作詞,昭和7年ビクターの専属となる。「湯島白梅」,戦後は「銀座カンカン娘」「有楽町で逢(あ)いましょう」などのヒット作を手がけ,37年「いつでも夢を」でレコード大賞。昭和56年3月18日死去。78歳。東京出身。早大卒。本名は和泉孝夫。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「佐伯孝夫」の解説

佐伯 孝夫 (さえき たかお)

生年月日:1902年11月22日
昭和時代の作詞家。日本音楽著作権協会理事
1981年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

部分連合

与野党が協議して、政策ごとに野党が特定の法案成立などで協力すること。パーシャル連合。[補説]閣僚は出さないが与党としてふるまう閣外協力より、与党への協力度は低い。...

部分連合の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android