星座(読み)せいざ

精選版 日本国語大辞典 「星座」の意味・読み・例文・類語

せい‐ざ【星座】

〘名〙 天球を目立つ恒星を目印として区分したそれぞれの区域。プトレマイオスの著「アルマゲスト」には四八個の星座名が見え、また近世に幾種かの提案があるが、現在では国際天文同盟の協定によって、天の赤経、赤緯に平行な境界線によって全天の星座は黄道一二、北天二八、南天四八の八八星座に区分されている。なお、古代中国では、三垣(さんえん)および二十八宿の区分が用いられる。
※遠西観象図説(1823)下「距度相近き者二、三星より数十星に至るを択び、器械・鳥獣等の図象を設け一隊とし、之を星座と云ふ」 〔史記‐天官書〕

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デジタル大辞泉 「星座」の意味・読み・例文・類語

せい‐ざ【星座】

恒星ギリシャ神話中の人物や動物・器具などに見立てて適当に結び付け、天球を区分したもの。古代ギリシャでは48星座であったが、後に南天の星座が追加され、現在は全天を黄道12、北天28、南天48の88星座に区分している。→黄道十二星座
[補説]88星座は、アンドロメダ座いっかくじゅう座いて座いるか座インディアン座うお座うさぎ座うしかい座うみへび座エリダヌス座おうし座おおいぬ座おおかみ座おおぐま座おとめ座おひつじ座オリオン座がか座カシオペヤ座かじき座かに座かみのけ座カメレオン座からす座かんむり座きょしちょう座ぎょしゃ座きりん座くじゃく座くじら座ケフェウス座ケンタウルス座けんびきょう座こいぬ座こうま座こぎつね座こぐま座こじし座コップ座こと座コンパス座さいだん座さそり座さんかく座しし座じょうぎ座たて座ちょうこくぐ座ちょうこくしつ座つる座テーブルさん座てんびん座とかげ座とけい座とびうお座とも座はえ座はくちょう座はちぶんぎ座はと座ふうちょう座ふたご座ペガスス座へび座へびつかい座ヘルクレス座ペルセウス座ほ座ぼうえんきょう座ほうおう座ポンプ座みずがめ座みずへび座みなみじゅうじ座みなみのうお座みなみのかんむり座みなみのさんかく座や座やぎ座やまねこ座らしんばん座りゅう座りゅうこつ座りょうけん座レチクル座ろ座ろくぶんぎ座わし座
[類語]スター恒星惑星綺羅星星辰星屑星雲星団天の川銀河首星流星流れ星彗星箒星一番星一等星新星超新星変光星ブラックホール連星主星伴星遊星小惑星衛星α星

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「星座」の意味・わかりやすい解説

星座
せいざ

夜空を見上げると数多く輝いている恒星のうち、近くにあるもの、あるいは目をひく星列を結び付け、神話に登場する人物や動物、器物などの姿かたちに見立てたもの。全天で88星座が設定されている。「星座」ということばは中国からきたもので、英語とフランス語ではconstellation、ドイツ語ではKonstellationという。これらはラテン語の「星をちりばめたもの」という意味のことばからきている。

[藤井 旭]

星座の起源

星座の起源は、いまから約5000年前の古代オリエントのバビロニア時代にまでさかのぼることができるといわれている。紀元前4000~前3000年ごろ、現在のイラクのあたり、ティグリス、ユーフラテスの両大河流域に移り住んだ遊牧の民カルデア人たちは、羊の群れを追いながら夜ごと頭上に星空を仰ぎ、星の動きや星の配列に注目して、時刻や季節の移り変わりを知る術を身につけ、さらには惑星の動きから星占い(占星術)を信仰していった。必然的に、目につく明るい星々を結び付け、神の姿や関心のある動物などの姿を夜空に想像していくことにもなった。まず考え出されたのが、太陽や惑星の通り道である黄道上の12星座で、このことはバビロニアの遺跡から出土した紀元前3000年ごろの境界石(石標)に描かれている星座絵の、おひつじ、おうし、ふたご、かに、しし、おとめ、てんびん、さそり、いて、やぎ、みずがめ、うおなどからも知ることができる。バビロニアとほぼ同じころ、ナイル川流域ではエジプト文明が栄えていたが、ここでも星空への関心は深く、バビロニアとは起源の異なる星座が考え出されていたといわれる。これらの古代星座はやがて、前2000年ごろから地中海貿易に活躍したフェニキア人たちによってギリシアに伝えられ、星座の名もギリシア神話に登場する神や英雄や動物などが加えられ、ギリシア風に改められていった。たとえば、秋の夜空を彩るケフェウス座、カシオペヤ座、アンドロメダ座、ペルセウス座などはギリシア神話中の登場人物たちで、おおぐま座やこぐま座などとともにこの時代に加えられたものである。これらの星座名は、ホメロスの二大叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』や、ヘシオドスの農事詩『仕事と日々』の作品のなかなどにもいくつも登場している。古代ギリシアも末期の紀元後2世紀ごろ、天文学者プトレマイオスはこれらの星座を、黄道上12星座と、黄道より北側に21星座、南側に15星座の48個にまとめて整理し、彼の著書『アルマゲスト』Almagestのなかに書き残している。

 このプトレマイオスの48星座(トレミー星座)はアラビアやヨーロッパで長く使われていたが、15~16世紀以後、南アフリカ経由のインド航路の開拓など遠洋航海が本格的に盛んになると、ヨーロッパで見ることのできなかった南天の星が知られるようになり、南天にも多くの星座が新設されることとなった。17世紀にバイヤーJohann Bayer(1572―1625)が、16世紀のオランダの航海家で、1596年ジャワ島で客死したケイザーPieter Dirkszoon Keyserとその助手役をつとめたホウトマンFrederick de Houtmanらの記録から、12の星座(インディアン座、かじき座、カメレオン座、きょしちょう座、くじゃく座、つる座、とびうお座、はえ座、ふうちょう座、ほうおう座、みずへび座、みなみのさんかく座)を南天に新設し、全天を51枚に描いた星図書『ウラノメトリア』Uranometriaのなかで発表した例がそれである。また、望遠鏡の発明など、近世天文学の発達に伴って、従来の大きく明るい星座ばかりでなく、その間を埋める必要も生じて、小さな星座も天文学者によって創設されるようにもなった。17世紀末のヘベリウスが新設したこぎつね座、こじし座、たて座や、ロワイエAugustin Royer(生没年不詳)が新設したはと座、みなみじゅうじ座などといった小星座がそれである。18世紀に入っても、当時の発明品などをあしらった新星座づくりがラカイユなど天文学者の間で流行し、一時は場所や星座名がはっきりせず、混乱するほどになってしまった。そこで1922年の国際天文学連合の総会で、星座の系統的整理を行うことが提唱され、1930年、全天を88の星座に整理し、黄道12、北天28、南天48の星座が確定した。境界線も1875年元期(春分点の基準)の天の赤経・赤緯に平行な線でくぎられ、初めは単に目につく星群を結び付けて考え出された星座も、現在では天球上の区画を意味する性格をもつようになってきたわけである。また星座の学名もラテン語の所有格を使用することになり、ラッセルとヘルツシュプルングの原案で3文字に略記することも制定され、現在広く使われている。

 なお、中国やインドなど東洋でも古くから星座が考え出されていたが、これらは西洋のものとはまったく異なるものであった。中国では天の赤道付近を小刻みに28個に分け、「二十八宿」とよび、太陽、月、惑星の位置を示していた。日本の中世のものは中国から伝わった星座で、星座とよべるオリジナルなものはない。

[藤井 旭]

星座の見え方

星空を見上げていると、時間の経過とともに、星座の見える位置が変わっていくのがわかる。これは自転する地球上に立って星座を見上げているためで、1日後の同じ時刻にはほぼ同じ星座を見ることができることになる。ところが、同じ星座が同じ方向に見えるのは実際には24時間後ではなく、1日に3分56秒ずつ早くなってくる。これは地球が1年がかりで太陽の周りを公転しているためで、このために、季節の移り変わりとともに同じ時刻に見える星座も移り変わっていくことになる。つまり、星座の見え方には、地球の自転によって星空(天球)が1日に大きく移り変わっていく動きと、地球が公転によって太陽の周りを1周することで生じる、ゆっくり移り変わっていく季節の動きの二つが組み合わさったものが現れているわけである。

[藤井 旭]

黄道星座

黄道というのは、地球の公転の軌道面の方向で、太陽や惑星は黄道に沿った星座の中を動いていく。黄道上にある星座を太陽が動いていく月ごとにくぎったのが「黄道十二宮」で、うお座、おひつじ座、おうし座、ふたご座、かに座、しし座、おとめ座、てんびん座、さそり座、いて座、やぎ座、みずがめ座の順となっている。これらのうち、春分に太陽が位置する「春分点」はうお座にあり、秋分点は天球上その正反対に位置するおとめ座にある。太陽は黄道上のどこかに位置しているため、その方向にある星座は、昼間の青空の中に出ているので見ることができないことになる。

[藤井 旭]

北天の星座

日本は北半球に位置しているので、天の北極付近の星座は一年中いつでも地平線下に沈むことなく見えている。カシオペヤ座、きりん座、やまねこ座、おおぐま座、こぐま座、りゅう座、ケフェウス座などがそれで、これらの星座に属している星を周極星とよんでいる。一方、天の北極から離れた位置にある星座は、季節によって見えたり、地平線下で見えなかったりすることがある。一般に春、夏、秋、冬の星座と呼び分けるのは、その季節の宵の午後8時ごろ頭上高く昇って見やすくなる星座たちのことをさしている。

[藤井 旭]

春の星座

春の宵の北の空では北斗七星がみつけやすい。明るい7個の星が柄杓(ひしゃく)の形に並んだ姿はだれの目にも一目でそれとわかり、春の星座をみつけだすよい目印になっている。まず、弓なりに反り返った柄杓の柄(え)のカーブをそのまま南に延長してくると、頭上近くでオレンジ色のひときわ明るい星、うしかい座の1等星アークトゥルスに行き当たる。さらにカーブを南に延長していくと、南の中天で白く輝くおとめ座の1等星スピカに行き当たる。北斗七星の柄のカーブからアークトゥルスを経てスピカに至る大きなカーブを「春の大曲線」とよんでいる。このほかアークトゥルスとスピカ、それにしし座のしっぽβ(ベータ)星デネボラを結んでできる大きな三角形を「春の大三角」とよび、これにりょうけん座のα(アルファ)星コル・カロリを加えて菱(ひし)形に結んだものを「春のダイヤモンド」とよんでいる。春の夜空には、「?」マークを裏返しにしたようなしし座の頭部「ししの大鎌(おおがま)」や、真南の中天に横たわる長大なうみへび座などの目につく星列がある。そのほか春の星座には、かみのけ座、からす座、コップ座、ポンプ座、らしんばん座、ろくぶんぎ座がある。

[藤井 旭]

夏の星座

夏の星空では、七夕(たなばた)の2星として知られる、わし座の1等星アルタイル(牽牛(けんぎゅう))とこと座の1等星ベガ(織女)をみつけることから始めるのがよい。まず、日の暮れかかるころ、東を向いて星空を見上げてみると、まだ薄明の残る東の空高く、3個の1等星が大きな直角三角形を描いて瞬いているのをみつけることができる。このうちいちばん高く昇って、しかもいちばん明るく青白い光を放っているのが七夕の織女星ベガで、そのずっと右下(南)のほうで両わきに小さな星を従えて白く輝いているのが牽牛星アルタイルである。この2星の間には白い雲のような天の川の流れがあり、七夕伝説の印象をいっそう鮮やかなものにしている。ただし、淡い光芒(こうぼう)なので、夜空の明るい都会地ではこの天の川の光芒のほうは見ることができないことが多い。この天の川の中で、ベガの左側にもう一つ明るい星が見えているが、これは七夕伝説とは直接関係ないはくちょう座の1等星デネブで、ベガとアルタイルと結んでできる大きな直角三角形「夏の大三角」を形づくっている。七夕の星と夏の大三角をみつけたら、天の川の流れに沿って南の空に目を移してみる。すると、南の地平線上のあたりに真っ赤な1等星アンタレスを中心に、十数個の明るい星がみごとなS字状の曲線を描いているのが目に留まる。これが冬のオリオン座とともに、全天屈指の美しい星座といわれるさそり座である。さそり座のS字のカーブの左(東)側あたりで天の川がひときわ明るく幅広くなっているのは、この方向に銀河系の中心方向があるためだが、その天の川の中に半人半馬のケンタウロスの姿をかたどったいて座がある。いて座では6個の星が北斗七星を伏せたような形の部分が目につき、中国ではこれを南斗六星とよび、西洋ではミルク・ディッパーmilk dipper(乳のさじ)とよんでいる。夏の大星座としてはこのほか、将棋の駒(こま)のような星の連なりから、両手に大蛇をつかむ巨人像を表したへびつかい座、そのへびつかい座と頭を接し、逆さまの姿に描かれているヘルクレス座などがある。また、いるか座、おおかみ座、かんむり座、へび座、みなみのかんむり座、や座も見ることができる。

[藤井 旭]

秋の星座

秋の宵空には、真南の中天に輝くみなみのうお座の1等星フォーマルハウト以外に目につく明るい星がないので、みつけにくい星座が多い。そのなかで頭上に見えるペガスス座の四辺形は比較的目につきやすく、秋の星座を見つけだすためのよい手掛りになってくれる。まず、この四辺形の各辺は、およそ東西南北の線に沿っているので、これで星空のそれぞれの方向の見当をつけることができる。次にアンドロメダ座のα星とγ(ガンマ)星の一辺をその長さと同じだけ南に延長すると、そこに天の赤道と黄道が交わる春分点がある。春分点を通り抜けて2倍ほど下(南)にたどっていくと、くじら座のしっぽβ星に行き当たる。この長い基線をこんどは逆にたどっていくと、途中でカシオペヤ座のW字形の先端β星を経て、北極星へたどり着く。つまり、四辺形のうちのこの一辺が、およそ赤経0時の線にあたるわけで、このことを覚えておくと、星の位置の概略の見当をつけるとき便利なことがある。ペガスス座の四辺形からはこのほか、β星とα星を結んでその長さを3倍南へ下げていくと、みなみのうお座の1等星フォーマルハウトに行き当たり、α星とアンドロメダ座α星の対角線を左上(北東)にたどっていくと、アンドロメダ座のV字形に連なる星列をみつけだすことができる。また、α星とγ星を底辺とする正三角形を南につくると、その頂点のあたりにうお座の一部、西の魚がいるのをみつけだすことができる。このように頭上に見えているペガスス座の大四辺形は、秋の暗い星座をみつけだすとき便利なので、秋の夜空ではまずこの四辺形に注目して見るのがよい。そのほか秋の星座にはけんびきょう座、こうま座、さんかく座、ちょうこくしつ座、とかげ座、ほうおう座がある。

[藤井 旭]

冬の星座

冬の夜に南の空を見上げて目につくのは、斜め一列に並んだ3個の星と、それを取り囲む長方形の明るい星列である。とくに「三つ星」を挟んで向かい合う左上角の赤い1等星ベテルギウスと右下角の青白い1等星リゲルの輝きが目をひいている。これがオリオン座である。冬の星座はこのオリオン座がもっとも目につき、他の星座をたどるときよい目印となってくれる。まず、オリオン座の北西の方向に目を向けると、頭上近くで赤い1等星アルデバランを含むV字形の星の群れ、ヒヤデス星団が見つかる。そのさらに先には6、7個の星がひとかたまりになったプレヤデス星団も見えている。この付近がおうし座で、おうしの角(つの)の先端β星からは、北の方向に将棋の駒のようなぎょしゃ座の五角形をたどることができる。五角形の右角の黄色みを帯びた1等星がカペラで、もっとも北寄りにある1等星として知られている。オリオン座の三つ星を今度は左下がりに目を移すと、どの星よりも明るいおおいぬ座の1等星シリウスに行き当たる。正確にはマイナス1.5等星で、全天一の輝星として知られている。このシリウスとオリオン座のベテルギウスを結んだ長さを一辺とする正三角形の頂点を東側にたどると、そこにこいぬ座の1等星プロキオンが輝いている。このシリウス、ベテルギウス、プロキオンの三つの明るい星を結んでできる正三角形は「冬の大三角」ともよばれている。夜空の暗く澄んだところなら、この冬の大三角の中ほどを淡い冬の天の川が横たわっていることにも気づく。冬の1等星にはこのほかふたご座のポルックスがあり、6個の1等星(シリウス、リゲル、アルデバラン、カペラ、ポルックス、プロキオン)を結ぶと雄大な「冬の大六角形」を描くことができる。このほか真南の地平線上に見えるりゅうこつ座の1等星カノープスがあるが、東北地方の中部から北の地方では、地平線上に昇ってこないので見ることができない。そのほか冬の星座には、いっかくじゅう座、うさぎ座、エリダヌス座、がか座、とも座、ろ座がある。

[藤井 旭]

南天の星座

北半球に位置する日本からは見えない天の南極付近にも、はちぶんぎ座、カメレオン座、テーブルさん座、とびうお座などの小星座がある。南天の小星座でよく知られたものに、全天一の小星座みなみじゅうじ座があるが、これは沖縄地方で南の水平線上に見ることができる。そのほか南天の星座には、夏に見られるものにケンタウルス座、コンパス座、さいだん座、じょうぎ座、ぼうえんきょう座、秋に見られるものにインディアン座、冬に見られるものにがか座、ちょうこくぐ座、とけい座、ほ座、レチクル座がある。

 また、天の北極には北極星という明るい星が輝いているが、天の南極には南極星に相当する明るい星はなく、星は時計の針と同じ回転方向に日周運動で動いている。

[藤井 旭]

『村山定男・藤井旭著『星座への招待』(1972・河出書房新社)』『内田武志著『星の方言と民俗』(1973・岩崎美術社)』『原恵著『星座の神話』(1975・恒星社厚生閣)』『野尻抱影編『新天文学講座1 星座』新版(1977・恒星社厚生閣)』『前原英夫著『星座と望遠鏡』(1986・丸善)』『野尻抱影著『星の神話・伝説集成』新装版(1987・恒星社厚生閣)』『大崎正次著『中国の星座の歴史』(1987・雄山閣出版)』『山本一清著『星座とその伝説』新装版(1987・恒星社厚生閣)』『国司真著『12ケ月の星座――毎日の夜空が待ち遠しくなる天体ガイド!』(1997・ナツメ社)』『出雲晶子著、渡部潤一監修、スカイウオッチャー編集部編『星座を見つける』(1998・立風書房)』『八板康麿著『星座・星雲・星団ガイドブック――春・夏・秋・冬・南天』(1999・新星出版社)』『小野塚友吉著『星になったギリシア神話』(2000・エール出版社)』『沼沢茂美・脇屋奈々代著『カラー版 星空ハンドブック』(2000・ナツメ社)』『藤井旭写真・監修『四季の星座――月別に見る72星座』(2000・成美堂出版)』『前川光著『星座の秘密――星と人とのかかわり』(2000・恒星社厚生閣)』『えびなみつる著『はじめての星座案内――見ながら楽しむ星空の物語』(2001・誠文堂新光社)』『藤井旭著『全天星座百科』(2001・河出書房新社)』『坂上務著『暦と星座のはじまり』(2001・河出書房新社)』『藤井旭著『藤井旭の星座を探そう』(2002・誠文堂新光社)』『藤井旭著『星座・天体観察図鑑』(2002・成美堂出版)』『藤井旭著『春・夏星座図鑑――もっと知りたい春・夏の星座』『秋・冬星座図鑑――もっと知りたい秋・冬の星座』(いずれも2002・偕成社)』『藤井旭著『星座大全――春の星座』『星座大全――夏の星座』『星座大全――秋の星座』『星座大全――冬の星座』(いずれも2003・作品社)』『日本天文学会編『三省堂世界星座早見』(2003・三省堂)』『草下英明著『星座手帖』(社会思想社・現代教養文庫)』『野尻抱影著『新星座巡礼』(中公文庫)』


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改訂新版 世界大百科事典 「星座」の意味・わかりやすい解説

星座 (せいざ)
constellation

全天の恒星をいくつか適当に結び,図形を作り,身近な動物や器物の姿を想像して命名,区別したもの。夜空に見える恒星は,明るさ,色の差異はあるが,その1個1個については形状の差異はなく単なる1光点にすぎないので,天球面での配列により,よく目につく明るい数個の星をつないで図形を考え,識別,記憶した。現行の星座は1930年に国際天文学連合により決定されたもので,全天を88の区画に分けている。

前3000年ころ古代オリエントのメソポタミア地方では,カルデア人が牧羊民族として生活し,夜ごとの羊番に星空を仰いで星座を名づけた。とくに1年の季節の移り変わりを知る必要から,太陽や月,諸惑星の通路である黄道帯については早くから12個の星座が定着した。前7世紀のアッシリアでは黄道12星座,北天12星座,南天12星座の合計36星座が記録されている。そして,これらのバビロニアの天文知識はフェニキア人の手によりギリシアに伝えられた。ギリシアの大詩人ホメロスの作品にはおおぐま座,オリオン座,うしかい座などの諸星座が登場し,また前8世紀ころの詩人ヘシオドスの作《農と暦》の中では農業耕作に必要な季節の目印としての星座が歌われている。そしてギリシア神話に登場する英雄,巨人が星座に登場するようになる。ヘレニズム時代に入り,ソロイの詩人のアラトスは天文詩《現象》の中でクニドスのエウドクソスの天文知識を反映させ,1000行あまりの詩で星座とその神話および天候予知の兆候を歌っている。ここにはプレヤデスを単独星座にした黄道13星座,北天19星座,南天15星座が記録されている。さらに下って2世紀に活躍した天文学者プトレマイオスはその著作《アルマゲスト》の第7,第8の2巻を星表とし,ここに48星座を記録している。またローマの詩人オウィディウスは叙事詩《転身物語》でギリシア神話の神々や英雄の物語を述べているが,今日語りつがれている星座の神話はこの著作に負うところが多い。

 《アルマゲスト》のギリシア語写本はイスラム文化圏に渡り,9世紀にアラビア語への翻訳が行われ,このアラビア語版が中世世界に流布した。そして12世紀にはこのアラビア語版はヨーロッパの学者によって注目され,1175年クレモナのゲラルドにより,アラビア語版からラテン語訳が完成し,近世ヨーロッパに再登場する。今日の星の固有名にベガ,アルタイル,アルビレオ,アルデバラン,ベテルギウスなどアラビア語に由来するものが多いのは,この間の事情を物語る証拠とみることができる。

 プトレマイオスの体系は13世紀の神学者トマス・アクイナスにより是認され,カトリック神学の教義体系に組み込まれたので,その天動説の天文体系とともに48個の古代星座も近世に至るまでなんらの変更もなく伝えられている。《アルマゲスト》に記載されている星座は,北半球では,こぐま,おおぐま,りゅう,ケフェウス,うしかい,かんむり,ヘルクレス,こと(琴),はくちょう,カシオペヤ,ペルセウス,ぎょしゃ(馭者),へびつかい,へび,や(矢),わし,いるか,こうま,ペガスス,アンドロメダ,さんかく(三角)の21星座。黄道帯上では,おひつじ,おうし,ふたご,かに,しし,おとめ,てんびん,さそり,いて(射手),やぎ,みずがめ,うおの12星座。さらに南半球のくじら,オリオン,エリダヌス,うさぎ,おおいぬ,こいぬ,アルゴ,うみへび,コップ,からす,ケンタウルス,おおかみ,さいだん(祭壇),みなみのかんむり,みなみのうおの15星座で,合計全天で48個ある。

近世になり新しい星座が追加されたのは,14世紀の大航海時代に入ってからのことであり,多くの航海者が南半球の海にのり入れ,あるいは喜望峰,あるいはマゼラン海峡と大陸の南端にまで航路をすすめた。このため従来ヨーロッパでは見えなかった天の南極付近の天域が航海者の目にさらされることになった。イタリアの航海者A.ベスプッチの著書《新世界》(1503)には新しい星空の記述があり,ポルトガルの航海者マゼランに同行したイタリア人A.ピガフェッタの《世界一周の記録》(1523)には南十字星や大,小マゼラン雲の記録がある。南天星座を初めて命名したのはドイツのバイエルンの法律家バイヤーJohann Bayer(1572-1625)で,1596年ジャワ島沖で客死したオランダの航海者テオドリPetrus Theodoriの手記にしたがい12星座を設定し,全天を51枚に描いた星図《ウラノメトリアUranometria》(1603)にこれらの星座を描写している。バイヤーの星座はふうちょう(風鳥),つる,くじゃく,きょしちょう(巨嘴鳥),みつばち,ほうおう(鳳凰),かじき(旗魚),とびうお,カメレオン,みずへび,インディアン,みなみのさんかくの12星座で南方原産の珍奇な動物名を用いたのが特色である。フランスのロアイエAugustine Royerは1679年に星図を発表し新たな星座を命名しているが,南天のはと座とみなみじゅうじ座だけが残っている。南天の星座ではフランスの天文学者N.L.ラカイユがアカデミー・デ・シアンスの観測隊に参加し,1750-54年ケープ・タウンに遠征,南天の星を観測して1万個の星を含む南天恒星目録を1763年に刊行,13星座を新設した。ぼうえんきょう,けんびきょう,はちぶんぎ(八分儀),コンパス,レチクル,ポンプ,がか(画架),じょうぎ(定規),テーブルさん(山),とけい,ろ(炉),ちょうこくぐ(彫刻具),ちょうこくしつ(彫刻室)で,新発明の機械,器具の名まえが多いのも新鮮な感じがする。またラカイユはアルゴ(船)座があまり大きい天域なのでとも(船尾),ほ(帆),らしんばん,りゅうこつ(竜骨)の4つの星座に分割した。

歴史上最初に恒星目録をつくったのはニカイアのヒッパルコスで(前150年ころ),1000個あまりの恒星の位置を観測し,この結果はプトレマイオスの《アルマゲスト》に48星座1022星として記載された。1437年イスラムの天文学者ウルグ・ベクはプトレマイオスの目録の星の位置を全部観測しなおし,天文表を改訂し,38年《新欽定天文表》を作成した。デンマークの天文学者T.ブラーエはヘッセン侯ウィルヘルムWilhelm4世とともに,N.コペルニクスが1543年に出版した《天球の回転について》の説を検定するため惑星位置の観測を始め,さらにこのための基礎観測として四分儀,八分儀,アストロラーブ,渾天儀(こんてんぎ)を駆使し,1600年には777個の星を含む恒星目録を刊行,さらに星数1000個をめざして観測にはげんだ。かみのけ座はブラーエが追加した星座である。ダンチヒ(現在のグタンスク)生れの天文学者J.ヘベリウスはこのブラーエの結果をただし,さらに星数を3000個に増加しようとつとめた。41年私設天文台を開設以来,観測を続け,彼の死後90年に恒星目録が発表された。ここにはもとの星946個,新たに観測した星617個と合計1563個の星の等級・位置が記載され,以前の観測者ブラーエ,ヘッセン侯ウィルヘルム4世,17世紀イタリアの天文学者リッチオリGiambattista Riccioli(1598-1671),ウルグ・ベク,プトレマイオスの値と比較されている。そして従来の大星座の分割では分類できない星が出てきたので,12個の小星座を新設した。これらは(1)アステリオン,(2)カラ((1)(2)あわせてりょうけん),(3)とかげ,(4)こじし(小獅子),(5)やまねこ,(6)ウラニアのろくぶんぎ(ろくぶんぎ(六分儀)),(7)ソビエスキーのたて(たて(楯)),(8)しょうさんかく(小三角),(9)こぎつね,(10)がちょう((9)(10)あわせてこぎつね),(11)ケルベロス,(12)マエナルスやま,であるが,現在使用されているのは7星座のみである。

 このほか,王侯の栄誉をたたえた星座として〈カエサルの玉座〉(命名はローマの大プリニウス),〈チャールズ(イギリス王チャールズ2世)のカシの木〉(E. ハリー)などがある。またすい星発見で有名なフランスの天文学者C.メシエを記念して,J.ラランドは監視者メシエ座という星座をカシオペヤ座とケフェウス座の間につくった。またオーストリアの天文学者神父ヘルMaximilian Hell(1720-92)は1781年の天王星の発見を記念し,やまねこ座とふたご座の間にハーシェルの望遠鏡座という星座をつくった。このほか自分の好みで使った星座にはティグリス座( J.ケプラーの女婿(じよせい)バルチウスJacob Bartschius(1600-33)),軽気球座,猫座(ラランド)などがあるが,いずれも現在星座名としては残っていない。

このように18世紀から19世紀初めにかけて多くの新星座が新設された結果,乱立,重複などの混乱が起こり,20世紀に入って,星座の整理・統合,境界線の確立が要望された。第1次世界大戦終了後,1920年に国際天文学連合が結成され,22年ローマの総会でこの問題が取り上げられ,専門委員会を組織し,ベルギーのユックル天文台長デルポルトEugine Joseph Delporte(1882-1955)を委員長に原案作成をすすめた。全天を88星座に分割(黄道12,北天28,南天48)すること,アメリカの天文学者B.A.グールドが南天星図に行ったように,1875年元期の赤経・赤緯の線で境界線を確定すること,星座の学名はラテン語でその所有格を使用し,アメリカの天文学者H.N.ラッセルとデンマークの天文学者E.ヘルツシュプルングの発案に従い,3文字に略記することが,1930年の総会で決定され,その結果は《星座の科学的区画法》として発表された。星座に関しては,これ以後の変更は行われていない。現行の88星座を表,図に示す。
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中国の星座はヨーロッパとはまったく別の系統のもので,これは日本にも伝えられ,江戸末期まで使われたが,国際的に通用するものにはならなかった。中国の星座の名称は朝廷の組織や官名になぞらえたものが多く,星座の体系の原型が成立した前5~4世紀の戦国時代の諸国や動物などによって命名したものもあって,中国の社会や文化の特徴が反映されている。初期の時法と結びついた北斗七星などは古くから注目され,また《詩経》に現れる星座のほかに,四季の目印とされた鳥(うみへび座α),火(さそり座α),虚(みずがめ座β),昴(ぼう)(おうし座プレヤデス=すばる)のような星や星座も《書経》に見える。赤道帯に沿った二十八宿の星座体系も前8~6世紀の春秋晩期には成立していたが,4世紀に魏の石申,斉の甘徳らによって星座が体系化された。司馬遷はこの伝統を集成して《史記》天官書を書いたが,天人相関説にのっとって星座を官階に比して天官とし,北極を中心とした中官と,二十八宿を7宿ずつに分けて東,西,南,北の4官に区分した星座群が記録されている。こぐま座β星は天帝である太一(たいいつ)にあてられ,北斗七星は帝車とみなされているのは道家的な思想の反映である。瑞祥とされた南極老人(カノープス星)なども見える。

 〈天官書〉を踏襲した《漢書》天文志によれば,星官の総数は118官,星の数は783個である。三国時代の呉の陳卓(3世紀)は戦国期以降の伝統に従って,当時知られていた星座を甘公,石氏,巫咸の星に分類し,色分けして合計283官,1464星として星図をつくった。〈天官書〉に比べて星座の数は3倍近く増加した。600年前後の丹元子は星座を詠みこんだ《歩天歌》をつくったが,北極を中心に三つのグループに分けて紫微垣,太微垣,天市垣とし,残りを二十八宿に分属させて,全天の星を三垣二十八宿(舎)に分けた。《歩天歌》の星官と星数の総数は陳卓のそれと一致する。後世の星座の体系はこの方法によっている。1094年(紹聖1)宋の蘇頌の《新儀象法要》はこの星座体系によってつくられた天文学史上重要な資料である。
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百科事典マイペディア 「星座」の意味・わかりやすい解説

星座【せいざ】

天球全体を緯度線と経度線で88の区画に分けたもの。1930年国際天文学連合で協定。元来は明るい恒星を群に組み合わせていろいろな形に見立てたもので,バビロニア,インド,中国等で古くから作られた。ギリシア時代に神人,動物,器具にかたどったものが今日の星座の起源で,プトレマイオス・クラウディオスが48個にまとめた。1603年J.バイヤーが南天の12星座を追加,以後補充・変更され現行のものとなった。黄道上に12,その北に29,南に47あり,日本から約50が見られる。一つの星座の中の恒星は,一般的には明るいものから順にα,β,γ,…とギリシア文字のアルファベットをつけ,α星,β星,γ星,……と呼ぶ。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「星座」の意味・わかりやすい解説

星座
せいざ
constellation

天球上の恒星をいくつかずつ適当に組合せて,いろいろな形に見立てたもの。古代天文学においては,天体現象の叙述の基礎になった。北天の星座はギリシア時代から名づけられはじめ,今日用いられる名称の大半は,プトレマイオス以前のもので,当時の神話中の人物名などがかなりみられる。その後,天の南極付近の星々も分けられ,現在その数は 88であるが,うち4つはアルゴ座を分けたものである。 1930年国際天文学連合において星座の境界線が決められ,本来の目的である天球の区分という性質が明瞭になった。

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普及版 字通 「星座」の読み・字形・画数・意味

【星座】せいざ

星宿。

字通「星」の項目を見る

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世界大百科事典(旧版)内の星座の言及

【星】より

…星ということばは,広くは太陽と月を除く天体すなわち恒星,惑星,すい星,星団あるいは星座を指し,狭くは恒星だけを指す(ただし太陽と月も場合によっては星と呼ぶ)。 原始時代の人類にとっては,彼らがもっとも畏怖(いふ)の目で仰いだ太陽と月とが,偉大な精であることはもちろん,空の無数の目のようにきらめく星もみな精であり,ときには神でもあった。…

※「星座」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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