佐倉道・成田道(読み)さくらみち・なりたみち

日本歴史地名大系 「佐倉道・成田道」の解説

佐倉道・成田道
さくらみち・なりたみち

成田に至る道の総称。政治的重要さから幕府公定では佐倉道とも称したが、文化期(一八〇四―一八)には成田参詣が盛んになるに伴い成田道が人口に膾炙し、陸路のみの成田道のほかに、利根川舟運の木下きおろし河岸(現印西市)から安食あじき河岸(現栄町)まで船で渡り、それから徒歩で赴く参詣路も利用されている。もっとも参詣客が多かった江戸から房総に入る路程は幾筋かあり、一部は房総往還・佐倉道・銚子道などと重複するが、平地に恵まれた下総だけに固定した道筋はなく、様々な選択があったようである。

幕府公定の房総に入る道筋は政治都市佐倉に至るもので、水戸道千住せんじゆ宿(現東京都足立区)から新宿にいじゆく(現同葛飾区)小岩こいわ(現同江戸川区)を経て市川関所・八幡やわた宿(現市川市)となっており、佐倉道と称されているが、延宝二年(一六七四)幕府が助成金を貸付けた「佐倉海道」は小岩小松川こまつがわ(現江戸川区)で、これがそれ以前の佐倉道であった。この元佐倉道(新編武蔵風土記稿)は宿駅維持の財政または助郷の問題によるのか廃止され、水戸道に吸収されるかたちとなり(いわば水戸佐倉道)公道としては前掲の道筋が取って代わり、その時期は元禄一〇年(一六九七)頃とされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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