佐味庄(読み)さみのしよう

日本歴史地名大系 「佐味庄」の解説

佐味庄
さみのしよう

柿崎かきざき町・吉川よしかわ町を流れる柿崎川とその支流吉川大出口おおでぐち川の流域に展開した庄園。庄名は、律令制下の頸城郡佐味郷および佐味駅にちなんだものであろう。初出は「吾妻鏡」文治二年(一一八六)三月一二日条所載の乃貢未済庄々注文で「鳥羽十一面堂領、預所大宮大納言入道家」として「佐味荘」とある。次いで同書建暦元年(一二一一)六月七日条に、訴訟のため鎌倉に出た「三味庄」の領家雑掌が宿泊していた大倉おおくら(現神奈川県鎌倉市)の民家で殺害され、その犯人として同庄地頭代が捕らえられたとの記事がある。

正応元年(一二八八)一一月九日、鳥羽院御願十一面堂の本尊勅願によって大和西大寺四王しおう院に安置するにあたり、佐味庄は他国の四庄とともに灯油仏聖料田として西大寺に施入された。この時当庄は年貢三五貫文で「当時請料也、本ハ三百石也」と記される(永仁六年一二月五日「大和西大寺田園目録」西大寺文書)。嘉元二年(一三〇四)三月の検注目録(同文書)では、当庄赤沢あかさわ(現吉川町)は地頭給一町を加えた惣田数一〇一町六反小、年貢米六三三石九斗余となっている。貞治二年(一三六三)四月二一日、足利義詮は佐味庄赤沢・武直たけなお両村(現吉川町)を西大寺雑掌に打渡すよう上杉憲顕に命じ(「室町将軍家御教書案」同文書)、憲顕は翌年七月二五日その旨を守護代憲将に伝えた(「上杉道昌施行状案」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android