日本歴史地名大系 「佐川土居跡」の解説
佐川土居跡
さかわどいあと
寛文一二年(一六七二)の佐川土居絵図(五藤家蔵)によれば土居は三段に築かれ、西の最も奥の部分に当主・嗣子の居所と長局があり、北の射場、南の隠居所をはじめとして米蔵・薬蔵・馬屋・馬具所・木工屋・長屋・小人部屋が適宜配置され、磐井谷川を隔てた東側にも蔵屋敷・用人共寄合所・武具蔵が設けられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
寛文一二年(一六七二)の佐川土居絵図(五藤家蔵)によれば土居は三段に築かれ、西の最も奥の部分に当主・嗣子の居所と長局があり、北の射場、南の隠居所をはじめとして米蔵・薬蔵・馬屋・馬具所・木工屋・長屋・小人部屋が適宜配置され、磐井谷川を隔てた東側にも蔵屋敷・用人共寄合所・武具蔵が設けられている。
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