朝日日本歴史人物事典 「佐川官兵衛」の解説
佐川官兵衛
生年:天保2.9.5(1831.10.10)
幕末維新期の会津藩(福島県)藩士。幼名勝,長じて清直と称した。父は会津藩士佐川直道,母は俊子。文久2(1862)年藩主松平容保が京都守護職に就任するとそれに伴って上洛し,ほどなく物頭,京都学校奉行と累進した。鳥羽・伏見の戦では藩士の子弟から組織された別選組などを率いて奮戦,勇名を馳せた。帰郷後は軍事奉行頭取,家老として官軍への徹底抗戦を唱え,敗戦後,東京での禁固生活を余儀なくされた。のち赦免され会津若松で閑居生活を送っていたが,明治7(1874)年征韓を巡っての論争が起こると,政府の要請を受けて子弟300名余を率いて上京し1等大警部となったが,同10年西南戦争に従軍して壮絶な戦死を遂げた。「佐川ノ人望ヲ有スル西国ノ西郷人望ヲ有スルカ如シ」と評される古武士タイプのリーダーであった。<参考文献>横尾民蔵『佐川官兵衛君父子之伝』
(家近良樹)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報