朝日日本歴史人物事典 「佐藤信景」の解説
佐藤信景
生年:延宝2(1674)
江戸中期の蝦夷地稲作の先唱者,出羽国雄勝郡西馬昔内村(秋田県羽後町)に生まれ,医業とともに農学を家学として継承。元禄10(1697)年,門人と蝦夷地に入り,釧路奥阿寒山麓に地を相して稲作の経験を積むこと3年,成果を『開国新書』として松前藩に提出した。藩は禁令なりとして退去を命じた。これは孫信淵が『土性弁』(信景著,信淵補)にいうところで,久しく真実とされてきた。だが現地に何らの証跡もなく,彼が肥培の法を強調せんがため仮に事に託したものと思われる。にもかかわらず佐藤家5代の伝統に支えられて,多くの人々をして北地開拓の希望をふるい立たせたことは見逃しえない。<参考文献>高倉新一郎『北の先覚』
(井黒弥太郎)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報