嵐三右衛門(読み)アラシサンエモン

デジタル大辞泉 「嵐三右衛門」の意味・読み・例文・類語

あらし‐さんえもん〔‐サンヱモン〕【嵐三右衛門】

歌舞伎俳優。初世[1635~1690]は摂津国西宮の人。やつし事六方の名人。11世を数え、代々上方を中心に活躍。

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精選版 日本国語大辞典 「嵐三右衛門」の意味・読み・例文・類語

あらし‐さんえもん【嵐三右衛門】

  1. 大坂の歌舞伎俳優。三世までは立役、以後女方となる。
  2. [ 一 ] 初世。本名西崎三右衛門。前名丸小三右衛門。「小夜嵐」で「六方」を演じて好評を博し、以後この役は嵐家の家の芸となる。また、その狂言中のせりふにちなんで「嵐」を芸名とした。寛永一二~元祿三年(一六三五‐九〇
  3. [ 二 ] 二世。初世の子。和事と「六方」が得意。寛文元~元祿一四年(一六六一‐一七〇一
  4. [ 三 ] 三世。二世の子。和事と「六方」を得意とする。元祿一〇~宝暦四年(一六九七‐一七五四

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改訂新版 世界大百科事典 「嵐三右衛門」の意味・わかりやすい解説

嵐三右衛門 (あらしさんえもん)

歌舞伎俳優。11世まであるが,初世,2世,3世が著名である。(1)初世(1635-90・寛永12-元禄3) 立役。丸小三右衛門と称して舞台を踏み,寛文頃《小夜嵐(さよあらし)》という狂言で当りをとって嵐と改姓。1674年(延宝2)または75年に上京,以後京坂で座本をつとめて活躍。六方やつし事を得意とし,やつしを主流とする元禄の上方歌舞伎の基礎を作った名優。(2)2世(1661-1701・寛文1-元禄14) 初世の実子。立役。90年(元禄3)三右衛門をつぐ。初世同様大坂で座本をつとめ,やつし事・六方・舞・濡れ事を得意とした。(3)3世(1697-1754・寛文7-宝暦4) 2世の実子。立役。俳名番虎。1704年(宝永1)8歳で襲名。以後22年間大坂で座本をつとめる。45年(延享2)嵐新平と改名。和事,六方を得意とした。(4)4世(1732-56・享保17-宝暦6) 3世の養子。若女方。45年三右衛門を襲名。(5)5世 初世嵐小六の後名。(6)6世 生没年不詳。若女方。79年(安永8)襲名。(7)7世 2世嵐小六の後名。(8)8世 4世嵐小六の前名。代数に数えない説もある。(9)9世(1805-59・文化2-安政6) 1823年(文政6)襲名。女方。(10)10世(?-1878・?-明治11) 66年(慶応2)襲名。女方。(11)11世(1906-80・明治39-昭和55) 1946年襲名。立役。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「嵐三右衛門」の意味・わかりやすい解説

嵐三右衛門
あらしさんえもん

上方(かみがた)の歌舞伎(かぶき)俳優。昭和の11世(1906―1980)まであるが、初世がもっとも有名。初世(1635―1690)は、やつし事、濡事(ぬれごと)の第一人者として、大坂の劇壇で一大勢力を誇った嵐系の元祖。もと江戸の魚問屋の子。寛文(かんぶん)年間(1661~1673)に大坂で上演した『小夜嵐(さよあらし)』が大当りをとり、その台詞(せりふ)「花に嵐」にちなんで丸子(まるこ)の姓を嵐と改めたといわれる。その子2世(1661―1701)、孫の3世(1697―1754)までは立役(たちやく)で座元も兼ね、六方(ろっぽう)をお家の芸とし大坂の名物の一つとなった。4世から女方(おんながた)となり、また5世、8世はそれぞれ初世、4世嵐小六(ころく)の前名。

[古井戸秀夫]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「嵐三右衛門」の解説

嵐 三右衛門(10代目)
アラシ サンエモン


職業
歌舞伎俳優

本名
大川 実(オオカワ ミノル)

生年月日
明治39年 10月23日

出生地
大阪府

経歴
明治45年1月大阪・浪花座の「元禄忠臣蔵」で初舞台。昭和23年、中座で10代目嵐三右衛門を襲名。関西歌舞伎が不振となった後は、映画・上方狂言の脇役として活躍した。

没年月日
昭和55年 7月17日 (1980年)

伝記
芸の秘密 渡辺 保 著(発行元 角川書店 ’98発行)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

朝日日本歴史人物事典 「嵐三右衛門」の解説

嵐三右衛門(初代)

没年:元禄3.10.18(1690.11.18)
生年:寛永12(1635)
江戸前期の立役の歌舞伎役者。俳名三楽。摂州西宮(兵庫県西宮市)の浪人で,江戸で魚問屋を営んでいた西崎新平の子。本名西崎三右衛門。江戸で丸小三右衛門と称していたが,寛永ごろ「小夜嵐」という狂言が当たり,名を嵐と改める。延宝(1673~81)ごろ上方に上り座本を勤め活躍した。延宝8年,京北側芝居で伊藤小太夫と共演した「吉野身請」は大当たりをとった。やつし事の名人と呼ばれた鈴木平左衛門に芸風を学び,六法(歩き方を様式化した荒事の一種)や濡れ事,やつし事を得意とした立役で,上方における元禄歌舞伎の基礎を作った。2代目,3代目も有名で,初代同様大坂で座本を勤めた立役であり,以後昭和期まで11代を数える。<参考文献>『歌舞伎評判記集成』1期,『日本庶民文化史料集成』6巻

(北川博子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

20世紀日本人名事典 「嵐三右衛門」の解説

嵐 三右衛門(10代目)
アラシ サンエモン

大正・昭和期の歌舞伎俳優



生年
明治39(1906)年10月23日

没年
昭和55(1980)年7月17日

出生地
大阪府

本名
大川 実(オオカワ ミノル)

経歴
明治45年1月大阪・浪花座の「元禄忠臣蔵」で初舞台。昭和23年、中座で10代目嵐三右衛門を襲名。関西歌舞伎が不振となった後は、映画・上方狂言の脇役として活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「嵐三右衛門」の解説

嵐三右衛門(初代) あらし-さんえもん

1635-1690 江戸時代前期の歌舞伎役者。
寛永12年生まれ。江戸で修業し,寛文のころ狂言「小夜(さよ)嵐」で評判を得,台詞(せりふ)の「花に嵐」から嵐の姓を名のる。のち大坂,京都でも活躍。俏事(やつしごと),濡事(ぬれごと),六方を得意とした。当たり役は「吉野身受」の小倉屋源兵衛など。元禄(げんろく)3年10月18日死去。56歳。摂津西宮(兵庫県)出身。本姓は西崎。俳名は三楽。

嵐三右衛門(11代) あらし-さんえもん

1906-1980 大正-昭和時代の歌舞伎役者。
明治39年10月23日生まれ。2代中村梅玉(ばいぎょく)に入門,中村福万寿(ふくます)の名で明治45年初舞台をふむ。昭和4年7代中村駒之助を,23年11代三右衛門を襲名。立役(たちやく)として関西歌舞伎で活躍。のち宝塚新芸座に属し,映画にも出演した。昭和55年7月17日死去。73歳。大阪出身。本名は大川実。屋号は津の国屋。

嵐三右衛門(10代) あらし-さんえもん

?-1878 幕末-明治時代の歌舞伎役者。
3代岩井粂三郎(くめさぶろう)(のちの8代岩井半四郎)に入門,のち9代嵐三右衛門の養子となる。慶応2年10代目を襲名。大阪で立女方(たておやま)として活躍,傾城役(けいせいやく),女房役を得意とした。明治11年4月死去。初名は岩井やまと。前名は岩井喜代三,叶珉子(4代),嵐珉子(2代)。俳名は珉子。屋号は吉田屋。

嵐三右衛門(2代) あらし-さんえもん

1661-1701 江戸時代前期の歌舞伎役者。
寛文元年生まれ。初代嵐三右衛門の子。女方をつとめていたが,元禄(げんろく)3年2代目を襲名し,立役(たちやく)に転じた。家芸の六方をはじめ,三味線などもたくみで,濡事(ぬれごと),俏事(やつしごと)を得意とした。元禄14年11月7日死去。41歳。初名は嵐勘太郎。前名は嵐門三郎(初代)。

嵐三右衛門(3代) あらし-さんえもん

1697-1754 江戸時代中期の歌舞伎役者。
元禄(げんろく)10年生まれ。2代嵐三右衛門の子。8歳で3代目を襲名。家芸の六方と和事を得意とし,大坂で22年間座本をつとめる。延享2年養子に三右衛門の名をゆずり,新平と改名。宝暦4年7月10日死去。58歳。大坂出身。初名は嵐門三郎(2代)。俳名は番虎。

嵐三右衛門(9代) あらし-さんえもん

1805-1859 江戸時代後期の歌舞伎役者。
文化2年生まれ。4代嵐小六の門にはいり,嵐雛三郎(ひなさぶろう)を名のる。文政6年9代三右衛門を襲名。女方として大坂,京都で活躍し,傾城役(けいせいやく)を得意とした。安政6年3月16日死去。55歳。別名に嵐珉子(初代),嵐寿。俳名は寿。屋号は吉田屋。

嵐三右衛門(7代) あらし-さんえもん

?-? 江戸時代中期-後期の歌舞伎役者。
初代姉川大吉にまなび,のち初代嵐雛助(ひなすけ)の門人となる。安永4年(1775)2代嵐小六をつぎ,立女方(たておやま)となる。寛政2年7代三右衛門を襲名するが,翌年初名の姉川菊八にもどる。大坂,京都で活躍。俳名は倭夕,和勇。屋号は大黒屋。

嵐三右衛門(4代) あらし-さんえもん

1732-1756 江戸時代中期の歌舞伎役者。
享保(きょうほう)17年生まれ。3代嵐三右衛門の養子となり,延享2年4代目を襲名。家芸の六方を得意とした。若衆方から若女方となり,大坂,京都で座本をつとめた。宝暦6年4月22日死去。25歳。初名は嵐松之丞。俳名は杉風。屋号は吉田屋。

嵐三右衛門(6代) あらし-さんえもん

1760-1785 江戸時代中期の歌舞伎役者。
宝暦10年生まれ。初代嵐雛助(ひなすけ)の門にまなぶ。若衆方から若女方にかわり,大坂で座本をつとめ,安永8年6代三右衛門を襲名。姫役と娘役を得意とした。天明5年8月26日死去。26歳。初名は嵐松次郎。俳名は嵐子,文射。屋号は吉田屋。

嵐三右衛門(5代) あらし-さんえもん

嵐小六(あらし-ころく)(初代)

嵐三右衛門(8代) あらし-さんえもん

嵐小六(あらし-ころく)(4代)

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367日誕生日大事典 「嵐三右衛門」の解説

嵐 三右衛門 (あらし さんえもん)

生年月日:1906年10月23日
大正時代;昭和時代の歌舞伎役者
1980年没

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