沖縄返還(読み)おきなわへんかん

共同通信ニュース用語解説 「沖縄返還」の解説

沖縄返還

1952年4月発効のサンフランシスコ講和条約で米国統治下に入った沖縄は、72年5月に返還された。佐藤栄作首相の政権下、67年7月から返還交渉が本格化した。沖縄から核を撤去し、日米安全保障条約に基づく事前協議制度を適用する「核抜き・本土並み」の条件で合意。69年11月に佐藤首相とニクソン米大統領が共同声明で施政権返還を発表した。その裏で、佐藤首相は有事に沖縄への核再持ち込みを認める極秘文書を交わし、米軍の日本からの戦闘作戦行動にも前向き姿勢を示した。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「沖縄返還」の意味・わかりやすい解説

沖縄返還
おきなわへんかん

1952年に発効した対日講和条約によってアメリカ合衆国の統治下に置かれた沖縄は,沖縄返還協定が調印された翌 1972年5月15日,27年ぶりに日本に返還された。第2次世界大戦太平洋戦争)の戦場(→沖縄の戦い),占領下,戦後の軍政下(→琉球列島アメリカ民政府沖縄米軍用地問題)と沖縄の苦難は続き,沖縄住民の祖国復帰運動は粘り強く続けられた。1960年沖縄教職員会を中心とする沖縄県祖国復帰協議会の結成,1965年佐藤栄作内閣総理大臣の沖縄訪問を経て,1969年11月2日のリチャード・ミルハウス・ニクソン大統領との会議で,「核抜き本土並み」の 1972年返還を約した日米共同声明(→佐藤=ニクソン共同声明)が発表された。しかし,返還後も在日アメリカ軍基地は沖縄県土面積の 9.94%(2015.3現在)を占める。基地問題のほか,日米共同声明における有事の際の核持ち込みに関する密約疑惑や,沖縄の経済的自立など,多くの問題が残る。(→沖縄県沖縄諸島沖縄島

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世界大百科事典(旧版)内の沖縄返還の言及

【沖縄[県]】より

… 復帰運動の理念は日本国憲法の民主主義と平和主義の精神を異民族支配下の特殊政治状況の中で実現化するところにあり,それは復帰協に結集する沖縄民衆の闘争の蓄積によって支えられていた。68年には屋良朝苗を初の公選主席に当選させるほどに運動は高揚し,72年5月15日の施政権返還というかたちで,日米両政府間における沖縄返還が歴史的事実となったのである。しかし,その時点でアメリカ軍基地の存続が認められ,一部自衛隊の使用に供されて,軍事基地の問題は未解決のまま残されたために,沖縄戦を思いおこし,戦争への危機感をうえつけている(この点を歴史的に第三の琉球処分と評価する視点もある)。…

※「沖縄返還」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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