佐藤達次郎(読み)サトウ タツジロウ

20世紀日本人名事典 「佐藤達次郎」の解説

佐藤 達次郎
サトウ タツジロウ

明治〜昭和期の外科医学者,教育者



生年
明治1年11月7日(1868年)

没年
昭和34(1959)年7月20日

出生地
福井県三方郡

旧姓(旧名)
河合

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治29年〕卒

学位〔年〕
医学博士〔明治38年〕

経歴
男爵佐藤進養子となり順天堂外科に勤め、明治30年欧州留学、大正7年東京医学専門学校初代校長となった。昭和18年順天堂医学専門学校創立で同校校長、理事長歴任。また大正10〜昭和32年女子美術大学の校長、学長、理事長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学位 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「佐藤達次郎」の解説

佐藤達次郎 さとう-たつじろう

1868-1959 明治-昭和時代の外科学者,教育者。
明治元年11月7日生まれ。佐藤進の養子となり,順天堂医院に勤務。ヨーロッパ留学後,大正7年東京医専(現東京医大)初代校長となる。順天堂医専(現順天堂大)校長,女子美術学校(現女子美大)校長などをつとめた。貴族院議員。昭和34年7月20日死去。90歳。若狭(わかさ)(福井県)出身。帝国大学卒。旧姓は河合。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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