改訂新版 世界大百科事典 「佐野紹益」の意味・わかりやすい解説
佐野紹益 (さのしょうえき)
生没年:1607-91(慶長12-元禄4)
江戸初期の豪商。京都上層町衆の代表的人物。名は重孝,通称は三郎兵衛。紹益は号である。父は佐野紹由,一説に本阿弥光益とも。南北朝時代以来,藍染の触媒に用いる灰を扱う紺灰屋を家業とし,紺灰問屋を支配したことから,家号を灰屋という。ただし,すでに父紹由のころより業はやめ,家号だけが存していたともいわれる。和歌,俳諧を烏丸光広,松永貞徳に,蹴鞠(けまり)を飛鳥井雅章に,書を本阿弥光悦に,茶の湯を千道安に学ぶなど,あらゆる芸能に精通し,光悦を中心とする文化人グループに加わり,後水尾上皇をはじめ公卿,大名,武士,美術家,茶人,僧侶など,その交際範囲はきわめて広かった。彼は,前代の京都町衆のもっていた自由闊達,豪放磊落な性格と豊かな知性・教養とを受け継いだ町衆であった。1631年(寛永8),六条柳町林与次兵衛抱えの遊女2代目吉野太夫を,人臣の位を極めた近衛信尋と争い,正妻にしたという逸話は有名である。著書に諸芸,交友関係,商業倫理にわたる随筆集《にぎはひ草》がある。
執筆者:松田 修
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報