灰屋紹益(読み)はいやしょうえき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

灰屋紹益
はいやしょうえき

[生]慶長12(1607).京都
[没]元禄4(1691).11.12. 京都
江戸時代初期の京都の豪商。本姓,佐野氏。本阿弥光悦の甥光益の子。通称,三郎兵衛。名,重孝。紹由の養子となって灰屋を継ぎ,京都町衆の指導者として活躍した。光悦をはじめ,烏丸光広松永貞徳らに師事し,茶,挿花書画,さらに蹴鞠 (けまり) ,和歌にも長じた。その著『にぎはひ草』 (2巻,1682) は,随筆文学の傑作といわれる。名妓吉野との恋は有名。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

灰屋紹益 はいや-じょうえき

1610-1691 江戸時代前期の豪商。
慶長15年生まれ。本阿弥光益の子。灰屋紹由(じょうゆう)の養子。京都の人。和歌を烏丸(からすまる)光広,飛鳥井雅章(あすかい-まさあき)に,俳諧(はいかい)を松永貞徳にまなぶ。また書,蹴鞠(けまり),茶の湯などにも長じた。島原の名妓吉野太夫近衛信尋(のぶひろ)とあらそい,正妻とした。元禄(げんろく)4年11月12日死去。82歳。姓は佐野。名は重孝,のち清定。通称は三郎左衛門。随筆に「にぎはひ草」。

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朝日日本歴史人物事典の解説

灰屋紹益

没年:元禄4.11.12(1691.12.31)
生年:慶長15(1610)
江戸前期の京都の豪商,文人。灰屋は屋号で,家名は佐野。父は本阿弥光悦の甥光益。のち佐野紹由 の養子となった。名は重厚,承益,又三郎,通称は三郎左衛門。晩年の光悦に親しみ,その影響を受けて松永貞徳,烏丸光広らに和歌を学んだのをはじめ,茶の湯,蹴鞠などにも通じて,後水尾天皇,八条宮智忠親王らと交わった。文筆にすぐれ,随筆「にぎはひ草」は風流人としての紹益の思想をよく表している。寛永8(1631)年,六条柳町の遊里の名妓吉野太夫を近衛信尋と争って身請けし,妻とした話はあまりに有名である。墓は京都の立本寺(上京区)。

(森谷尅久)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

大辞林 第三版の解説

はいやしょうえき【灰屋紹益】

1607~1691) 江戸前期の富商。京都町衆まちしゆう。姓は佐野、名は重孝。代々藍あい染め用の紺灰を家業とし、家号を灰屋と称す。茶の湯・歌道など諸芸に秀でた。随筆集「にぎはひ草」がある。

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世界大百科事典内の灰屋紹益の言及

【佐野紹益】より

…江戸初期の豪商。京都上層町衆の代表的人物。名は重孝,通称は三郎兵衛。紹益は号である。父は佐野紹由,一説に本阿弥光益とも。南北朝時代以来,藍染の触媒に用いる灰を扱う紺灰屋を家業とし,紺灰問屋を支配したことから,家号を灰屋という。ただし,すでに父紹由のころより業はやめ,家号だけが存していたともいわれる。和歌,俳諧を烏丸光広,松永貞徳に,蹴鞠(けまり)を飛鳥井雅章に,書を本阿弥光悦に,茶の湯を千道安に学ぶなど,あらゆる芸能に精通し,光悦を中心とする文化人グループに加わり,後水尾上皇をはじめ公卿,大名,武士,美術家,茶人,僧侶など,その交際範囲はきわめて広かった。…

【灰】より

…染色に用いる灰は早くから商品化され,16世紀初頭には和泉国日根郡には紺屋に売る灰を生産する紺灰座があった。また近世初頭の文化人としても著名な灰屋紹益(しようえき)(佐野紹益)を出した灰屋は,京都で紺灰を扱う豪商であった。江戸時代には灰買いが都市の灰を買い集め,川越などにはその灰を取引する定期の灰市(はいいち)も立った。…

※「灰屋紹益」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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