ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「体操伝習所」の意味・わかりやすい解説
体操伝習所
たいそうでんしゅうじょ
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…その当初,運動場はplaygroundやSpielplatzの邦訳語として遊園とか遊戯場とか呼ばれていたが,やがて体操場Turnplatzと併用されるようになる。1878年(明治11)に体操伝習所が設立され,日本で最初の体操専任教師が養成されるようになると,遊戯場は次第に体操場と呼ばれるようになっていく。しかしこの伝習場での体操は,室内体操場で実施することを前提にしていたため,屋外が体操実施の場として本格的に機能し始めるのは,兵式体操が学校へ導入(1886)されてからであった。…
…このようなスポーツ科学の発展は,60年代から始まった世界的なスポーツの大衆化現象によって,スポーツ科学の必要性が広い層の人々に認められるようになってきたことと関連している。 日本における身体運動に関する研究は,1878年,文部省による体操伝習所の設立によって始められたが,実際に成果をみるのは体操学校(現,日本体育大学)や東京高等師範学校体操科(現,筑波大学体育科学系)などの体育教員養成学校が整備されてからである。1925年には体育研究所が設立され,国民の体位・体力の保持・増進の方策を調査・研究するため,解剖学,生理学,衛生学,心理学,教育学のほかに体操,球技,陸上競技の研究部門とスポーツ医事相談部が置かれて,多面的な活動が始まった。…
…そして体育学はスポーツ教育学へと発展し,学校や社会のスポーツの教育的諸問題を教育科学的・スポーツ科学的研究方法によって研究し,スポーツ教育の実践に役だつ理論を形成することを課題とすることとなった。 日本の体育学は,体操伝習所の設立(1878)を経て体育教員養成学校や課程の設立とともに,主に学校体育の指導理論の確立をめざして始められた。1920年代からは小笠原道生らによって科学的体育学が,篠原助市らによって教育哲学的体育学の確立が探究されたが,全体的には医学と教育学と歴史学による学校体育学の形成が主課題であった。…
…明治の初期は,このような簡単な図解をよりどころに行う,いわば直訳模倣の時代であり,指導者もほとんどおらず,実際には各学校で実施されたわけではなかった。78年文部省が体操教員の養成を目的とする体操伝習所を設立し,アメリカからG.A.リーランドを招聘(しょうへい)して体操の指導にあたらせ,また手引書を出すようになって,ようやく体操が全国的に普及しはじめた。その体操は〈軽体操〉と呼ばれ,後には〈普通体操〉と呼ばれるようになるが,内容はやはり保健的性格のものであった。…
※「体操伝習所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新
10/1 共同通信ニュース用語解説を追加