学校体育の発展に貢献した教育者。千葉県出身。若くして医学を志し,江戸に出て英語を学ぶ。1871年(明治4)大学得業生となり,翌72年文部省出仕に任ぜられ師範学校係として,同年東京師範学校創設に際してアメリカから招かれたM.M.スコットの通訳を担当した。78年に創設された体操伝習所の教師となり,アメリカの医師リーランドGeorge A.Leland(1850-1924)の通訳を兼ねながら,彼の紹介した軽体操を〈普通体操〉と呼んで,その普及に努めた。90年に東京高等師範学校教授兼東京女子高等師範学校教授に就く。1900-02年体操研究のためフランス,イギリス,ドイツに留学し,帰国後,当時ドイツで行われていた舞踏や行進遊戯を紹介するとともに,イギリスから日本に初めて卓球を移入した。13年に公布の〈学校体操教授要目〉の立案に参加,また女子体育の発展に尽力した。日本の〈学校体育の父〉とも呼ばれ,《戸外遊戯法》(1885,共著)などの著書がある。
執筆者:広畑 成志
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
明治・大正期の体操教育者 学校体育の父。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
普通体操の推進者。下総(しもうさ)国中山村(千葉県市川市中山)出身。15歳のとき上京して英語を学び、1871年(明治4)大学得業生となる。宮城英語学校を経て、1879年新たに開設された体操伝習所の教師となり、主任教授リーランドGeorge Adams Leland(1850―1924。アメリカ)の通訳として、その学説ならびに実践の紹介に尽くした。その著書『新撰(しんせん)体操書』(1882)はリーランドの講義を訳述したものである。さらに1885年には田中盛業(生没年不詳)と共著で『戸外遊戯法』(一名『戸外運動法』)を出したが、これは日本人によって書かれた最初のスポーツ解説書ともいうべきものである。のち東京高等師範学校(現、筑波(つくば)大学)教授となり、1902年(明治35)欧米視察を終わり帰国の際、外国で覚えた卓球の用具を土産(みやげ)に持ち帰り、これを日本に紹介した。
[大谷要三 2018年9月19日]
(大熊廣明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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