日本歴史地名大系 「余所国村」の解説
余所国村
よそくにむら
[現在地名]宮窪町余所国
慶安元年伊予国知行高郷村数帳(一六四八)の越智郡の項に「余所国村 日損所、野山有、林松柴有」とみえ、村高九六石一升六合とある。寛永一三年(一六三六)には田四町四反、畑六町二反(余所国村検地帳)であったが、江戸中期に開発が進み、宝暦一四年(一七六四)の余所国村検地帳では本田畑九町五反に対し、新田畑一二町一反となっている。戸数は貞享元年(一六八四)四四軒、牛屋とも(今治藩御改革領内調書)、明治一三年(一八八〇)には一三一(伊予国越智郡地誌)である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報