余田城跡(読み)よでんじようあと

日本歴史地名大系 「余田城跡」の解説

余田城跡
よでんじようあと

[現在地名]市島町上鴨阪

宗福そうふく寺背後の丘陵上にある城跡。東側壁は前山さきやま川に洗われる絶壁。余田谷一帯を支配した余田氏の居城といわれている。元弘三年(一三三三)四月足利尊氏がしの(現京都府亀岡市)で兵を挙げた際、久下時重とともに余田氏ら丹波の領主が馳せ参じている(「太平記」巻九)。以後も余田氏は余田谷を支配したが、戦国末期に荻野直正の支配下に入ったという。天正一二年(一五八四)五月荻野氏の一族赤井時直が徳川家康と結んで一揆を起こし、立籠った黒井くろい(現春日町)を引払い、余田城に拠っている(五月一六日「本多忠勝書状」譜牒余録)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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