日本歴史地名大系 「作見村」の解説 作見村さくみむら 石川県:加賀市作見村[現在地名]加賀市作見町・松が丘(まつがおか)小菅波(こすがなみ)村の東に位置し北陸街道沿いに集落を形成。延徳三年(一四九一)三月一〇日、冷泉為広は越後下向の途次「サクミ里」を通っている(越後下向日記)。中世は京都北野社領福田(ふくだ)庄に含まれ、天文九年(一五四〇)分の北野社領山田・菅波算用状(天文九年記)に「余所ヨリ成分」として「百文者 作見」がみえる。「天文日記」同一六年八月二〇日条に、前年の江沼郡錯乱で折檻をうけていた加州江沼惣中を赦免したが、作見三郎衛門・藤丸新二郎ら首謀者四人は赦免の対象外となったとある。天文二四年七月二三日、越前の朝倉教景が加賀に侵攻すると、加賀の一向一揆勢は南郷(なんごう)・津葉(つば)・千足(せんぞく)の三城に立籠って抵抗した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報