20世紀日本人名事典 「倉員辰雄」の解説
倉員 辰雄
クラカズ タツオ
昭和期の洋画家
- 生年
- 明治33(1900)年1月11日
- 没年
- 昭和53(1978)年5月5日
- 出生地
- 福岡県八女郡北川内村
- 学歴〔年〕
- 東京美術学校(現・東京芸術大学)西洋画科〔昭和4年〕卒
- 経歴
- 父は倉員銀行など諸事業を営み、明治41年一家で現在の韓国に移住。大正8年台湾銀行に入るが、11年画家を志して退社。上京して川端画学校に学んだのち、東京美術学校に入り、岡田三郎助に師事。昭和4年卒業し、同年帝展に初入選、以後官展に出品する。8年帝展に「岩蔭」を出品して以来、岩を描く画家として知られ、10年第二部会洋画展に「崕」で文化賞特選、11年文展に「巌」で選奨(翌年この作品で昭和洋画奨励賞)。ついで12年新文展に「嶺」、13年同展に「嶽」で連続特選を受賞した。15年創元会の設立に参加し、会員となる。29年以降日展審査員を5回務め、33年日展会員、35年同評議員、51年には同参与となった。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報