倉殿庄(読み)くらどののしよう

日本歴史地名大系 「倉殿庄」の解説

倉殿庄
くらどののしよう

安威あい川下流の右岸、現吹田市吹東すいとう町・日の出ひので町・昭和しようわ町・もと町およびその周辺に散在した庄園。田地吹田西すいたにし庄のそれと錯綜して所在したため、のちには吹田西庄内倉殿とよばれ、また崇禅そうぜん(現東淀川区)領としては倉殿名といわれた。

承徳三年(一〇九九)四月二二日の治部卿藤原通俊所領処分状案(壬生家文書)に「摂津国倉殿庄」とみえる。この文書は前欠でしかも欠落もあるため詳細は不明だが、摂津国では倉殿庄と杭瀬くいせ(現兵庫県尼崎市)を、娘か外孫堀河流の藤原経定に処分したものと思われる。その後、久寿三年(一一五六)に経定から頼定へ(同年正月一七日「権中納言藤原経定譲状案」同文書)、治承五年(一一八一)に頼定から頼房へ相伝されたが(同年三月一五日「参議藤原頼定譲状案」同文書)、寛喜三年(一二三一)に頼俊へ(同年二月一五日「藤原頼宗処分状案」同文書)、次いで弘安元年(一二七八)に経顕へと伝領されたのは杭瀬庄のみで(同年一一月日「藤原頼俊処分状案」同文書)、倉殿庄は安貞二年(一二二八)八月五日の七条院所領目録案(東寺百合文書)にみえ、高倉天皇の妃七条院(藤原殖子)から修明門院(後鳥羽天皇皇后)に譲られている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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