日本歴史地名大系 「杭瀬庄」の解説
杭瀬庄
くいせのしよう
市域南東部に所在した庄園。江戸時代の杭瀬村を遺称とする。承徳三年(一〇九九)四月二二日の藤原通俊処分状案(壬生家文書)に「杭瀬嶋領田」とみえ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
市域南東部に所在した庄園。江戸時代の杭瀬村を遺称とする。承徳三年(一〇九九)四月二二日の藤原通俊処分状案(壬生家文書)に「杭瀬嶋領田」とみえ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...