倉石忠雄(読み)クライシ タダオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「倉石忠雄」の解説

倉石 忠雄
クライシ タダオ


肩書
元・法相,元・農相,元・衆院議員(自民党)

生年月日
明治33年7月2日

出身地
長野県更埴市稲荷山

学歴
法政大学法科〔昭和14年〕卒業

経歴
南日本化学工業専務などを経て、昭和22年衆院議員に当選、以来連続14期。30年鳩山内閣労相となり、以後労相2回、農相4回を経て、54年第2次大平内閣の法相に就任。佐藤内閣農相時代の43年「日本国憲法他力本願のめかけ憲法」と発言して辞任。また54年の法相就任記者会見で、田中元首相について「一日も早く青天白日の身になってほしい」と述べ、物議をかもした。58年引退。

受賞
勲一等旭日大綬章〔昭和49年〕

没年月日
昭和61年11月8日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「倉石忠雄」の解説

倉石 忠雄
クライシ タダオ

昭和期の政治家 元・法相;元・農相;元・衆院議員(自民党)。



生年
明治33(1900)年7月2日

没年
昭和61(1986)年11月8日

出身地
長野県更埴市稲荷山

学歴〔年〕
法政大学法科〔昭和14年〕卒業

主な受賞名〔年〕
勲一等旭日大綬章〔昭和49年〕

経歴
南日本化学工業専務などを経て、昭和22年衆院議員に当選、以来連続14期。30年鳩山内閣の労相となり、以後労相2回、農相4回を経て、54年第2次大平内閣の法相に就任。佐藤内閣農相時代の43年「日本国憲法は他力本願のめかけ憲法」と発言して辞任。また54年の法相就任記者会見で、田中元首相について「一日も早く青天白日の身になってほしい」と述べ、物議をかもした。58年引退。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「倉石忠雄」の解説

倉石忠雄 くらいし-ただお

1900-1986 昭和時代後期の政治家。
明治33年7月2日生まれ。出版社役員から政界に転じ,昭和22年衆議院議員(当選14回,自由党)。第3次鳩山(はとやま)内閣・第2次岸内閣の労相,第1次-第3次佐藤内閣・第2次田中角栄内閣の農相,第2次大平内閣の法相を歴任。一貫して憲法の改正を主張した。昭和61年11月8日死去。86歳。長野県出身。法大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「倉石忠雄」の解説

倉石 忠雄 (くらいし ただお)

生年月日:1900年7月2日
昭和時代の政治家。衆議院議員
1986年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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