倉見庄(読み)くらみのしよう

日本歴史地名大系 「倉見庄」の解説

倉見庄
くらみのしよう

三方湖に流入するはす川の流域、現三方町倉見付近を中心に、北方常神つねかみ半島西にし浦の一部をも含む荘園。嘉禎元年(一二三五)一二月一五日付若狭国日吉神人拒捍使所宛の延暦寺政所下文写(大音家文書)は「可早停止当国倉見庄乱入狼藉事」として倉見庄雑掌の解を引くが、それによれば、当庄は新日吉いまひえ(現京都市東山区)の所領としてすでに数十年来、油役を勤仕してきたという。この下文は、当庄に対する日吉社拒捍使代大和房の濫妨を停止せしめたもので、また文中にみえる「三川浦」は御賀尾みかお(のちの神子浦)のことで、荘内にありながら半ば独立した単位をなしていたことが推測される(→神子浦

文永二年(一二六五)の若狭国惣田数帳写には「倉見庄十四町七反八十八歩」とあり、田積および「領家新日吉講□□二郎」とある鎌倉末期の朱書により、なお領家職を新日吉社がもっていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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