改訂新版 世界大百科事典 「僧朗」の意味・わかりやすい解説
僧朗 (そうろう)
Sēng láng
中国南朝期の仏僧。大朗とも称せられる。生没年不明。高句麗の遼東城(遼寧省遼陽)の人。5世紀後半に建康(南京)に来て,摂山棲霞寺で三論・華厳の学を講じた。クマーラジーバ(鳩摩羅什)に始まる三論の学は南北2派に分かれて衰微していたが,これを統合して再興させ,梁の武帝をして,当時盛んであった《成実論(じようじつろん)》を捨て三論の学を奉ぜしめるにいたった。三論の学は,のち隋代に吉蔵に継承されて三論宗として大成された。一説に僧朗以前を古三論,以後を新三論と称して区別する。なお,4世紀に仏図澄(ぶつとちよう)に師事したものに同名の僧がおり,竺僧郎とも呼ばれた。竺僧郎は《易経》と占候にすぐれ前秦の苻堅や前燕の慕容氏の庇護をうけ,泰山を本拠とする教団を伸張したことで知られている。
執筆者:愛宕 元
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報