儀保御待所跡(読み)じーぶうまちどうくるあと

日本歴史地名大系 「儀保御待所跡」の解説

儀保御待所跡
じーぶうまちどうくるあと

[現在地名]那覇市首里儀保町三丁目

上儀保ういーじーぶ村の北端にあった御待所。ジーブウマチドゥクルとよぶ。西森にしむいから虎頭とうらじ山に走る丘陵の間、首里城から延びて同村内を南北に走る儀保大じーぶうふ道に沿い、太平たいへい(平良)橋の南側にあたる。首里古地図には御待所と記載され、村の屋敷地とは森林一線が画されており、すでに御待所から儀保じーぶくびりが延び同橋に至る道がみえる。

国王が中・北部に行幸した後、帰りを迎える場所であった。例えば「琉球国由来記」によると、九月の行事として国王の普天間ふていま(現宜野湾市)参詣があるが、参詣をすませた後首里城に帰る際に、まず浦添うらしーで王子・按司・親方各一員、申口・御物奉行の吟味役それぞれ一員が迎え、さらに当御待所で諸王子・諸按司・親方以下諸臣が国王を迎え首里城に帰ったようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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