光照院(読み)こうしよういん

日本歴史地名大系 「光照院」の解説

光照院
こうしよういん

[現在地名]上京区安楽小路町

浄土宗の尼門跡。本尊釈迦如来。正式には光照院門跡という。後伏見天皇の皇女進子内親王は、北野観音寺第一祖無人により剃髪得度して本覚尼と称し、延文元年(一三五六)室町むろまち通一条北(現上京区)に浄台禅律の四宗兼学道場として尼寺の光照院を創建した(応仁記)。その後焼亡して応仁(一四六七―六九)以後にもと持明じみよう院のあった当地に移り、一時安楽光あんらくこう院と称したが旧称に戻された。「実隆公記」享禄二年(一五二九)七月二一日条の追記に「後聞、廿七日光照院焼亡云々、仏殿相残云々」とあり、寛永一四年(一六三七)洛中絵図には光照院御所とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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