光真寺(読み)こうしんじ

日本歴史地名大系 「光真寺」の解説

光真寺
こうしんじ

[現在地名]大田原市山の手二丁目

龍泉りゆうせん寺の北西にある。大田山と号し、曹洞宗本尊薬師如来。天文一四年(一五四五)創建と伝え、開基は初代大田原城主大田原(大俵)資清。開山は本寺長興ちよこう(現矢板市)三世麟道。麟道は資清の兄。資清は永正一五年(一五一八)大関宗増・福原資安と戦って敗れ、麟道のもとへ逃れて剃髪し、永存と号した。その後越前永平寺に入ったが、朝倉氏の援助を得て天文一一年大関増次を自刃させ、還俗して再び大田原家を興したという。大田原氏の菩提所として厚く保護された。寛永一六年(一六三九)には寺領三〇〇石、宝永六年(一七〇九)には二〇〇石を寄進され、寺領五〇〇石となったとされる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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