日本歴史地名大系 「入山瀬村」の解説 入山瀬村いりやませむら 静岡県:小笠郡大東町入山瀬村[現在地名]大東町入山瀬上土方落合(かみひじかたおちあい)村の北、菊(きく)川の支流下小笠川の水源地にあたる小笠山山麓に位置する。古くは不入計村と記し、小笠権現(現小笠神社)の神領であったという(掛川誌稿)。延徳二年(一四九〇)一〇月一〇日の尾張乾坤(けんこん)院(現愛知県東浦町)蔵の小師帳には入山瀬形部大夫内妙性がみえる。永禄一一年(一五六八)一二月、駿河から懸川(かけがわ)に退去した今川氏真に対し、見付(みつけ)(現磐田市)に陣した徳川家康は兵を入山瀬に動かし、井ノ谷城(現大東町上土方嶺向の林ノ谷砦か)を陥落させたという(家忠日記増補追加)。正保郷帳に不入斗村とみえ、田方三〇八石余・畑方五九石余・山札三〇石余、「日損」「松山」の注記がある。 入山瀬村いりやませむら 静岡県:富士市旧吉原市・鷹岡町地区入山瀬村[現在地名]富士市入山瀬・入山瀬一―四丁目・鷹岡本町(たかおかほんちよう)久沢(くざわ)村の西、潤井(うるい)川左岸に位置する。寛永改高附帳に入山瀬村とみえ、田方二五五石余・畑方一〇七石余。元禄郷帳では高四三五石余。国立史料館本元禄郷帳によれば旗本日向・曾我二氏の相給。領内は上組・下組に分れていた。旧高旧領取調帳では入山瀬上組高一二二石余は旗本松平領、同下組高三一〇石余は沼津藩領。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by