入来郷(読み)いりきごう

日本歴史地名大系 「入来郷」の解説

入来郷
いりきごう

薩摩郡の南部に位置した鹿児島藩の外城の一。近世初期は清敷きよしき、万治二年(一六五九)以降は入来院氏の私領として推移し、浦之名うらのみよう村・副田そえだ村の二村で構成された。入来五千石と通称される。鎌倉時代中期に関東の渋谷一族川内せんだい川流域を中心とした薩摩郡一帯の地頭として入部して以来、当地域は渋谷入来院氏の本貫の領地(入来院)として領有された。永禄(一五五八―七〇)末年、一族の東郷氏らとともに島津氏に服すると、本領の清敷のみが改めて入来院重嗣に安堵され、領地の大半(宮里・隈之城などを除く)は島津氏直轄領とされた(島津国史・入来町誌)。文禄三―四年(一五九四―九五)の太閤検地後の知行配当によって入来院重時が大隅国湯之尾ゆのお(現菱刈町)に移されると、旧入来院の大半は島津氏直轄領となった。文禄四年六月二九日の豊臣秀吉朱印知行方目録(島津家文書)によれば、「さつま郡入来の内二ケ村」の高四千五七一石余が島津義久蔵入分とされている。慶長元年(一五九六)大口の新納忠元が地頭として入り(五月六日「新納忠元書状」町田氏正統系譜など)、次いで川上忠兄・平田増宗らが地頭となった。この間、清敷のうち塔之原とうのはら(現樋脇町)は新しく川内答院けどういん地方の領主として日向国都城から入ってきた北郷三久(宮之城領主北郷時久の子、平佐北郷氏)が領有した(入来町誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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