八ヶ崎村(読み)はちがさきむら

日本歴史地名大系 「八ヶ崎村」の解説

八ヶ崎村
はちがさきむら

[現在地名]松戸市八ヶ崎・はち崎緑町さきみどりちよう・八ヶ崎一―二丁目・小金原こがねはら五丁目・同八―九丁目

二ッ木ふたつぎ村・馬橋まばし村の東方、江戸川沖積低地を見下ろす台地上にあり、東部をさか川支流ふじ川が北流する。南は長津ながつ川を挟んで千駄堀せんだぼり村・中和倉なかわくら村。地名が示すように当地の台地周縁部分は複雑に屈曲している。二ッ木村境を水戸道が通り、また馬橋村で同道から分岐して印西いんざい方面へ向かう道が南部の台地上を通る。「本土寺過去帳」二二日・二四日の両日にみえる「妙信位」にはいずれも天正四年(一五七六)の年紀と「ハチカサキ」の注がある。なお同過去帳二九日の妙性尼には「二木 ハチカサキニテ 日暁ヲハ」との記載があり、年紀はないもののその前後には室町中期の年号がみられる。慶安年間(一六四八―五二)頃の成立といわれる高城胤忠旧知行高付帳に「八ケ崎村高三百三拾八石」とみえる。元禄一一年(一六九八)本多正永領となるが(本多四公日記)、安政四年(一八五七)の村明細帳(成島家文書)によれば、元禄一一年以前は旗本本多・中根・小川の三氏相給であったという。

八ヶ崎村
はちがさきむら

[現在地名]能登島町八ヶ崎

祖母そぼうら村から南東一四町に位置し、富山湾に東面した村。古くは南東のえのめ村の出村であったと伝える(「温故集録」加越能文庫)。地名の由来は、出羽国の官船に鉄鉢を飛ばし供物を得た臥行者の鉢が流れ着いたとの伝えによる(鹿島郡誌)。文明一三年(一四八一)一月一一日の能登島八ヶ村公田田数注文(伊夜比神社文書)に蜂崎とあって、一宮気多社の二斗米(段銭)賦課の対象とされ、公田数は二町一四〇刈で、波々伯部殿の知行分。戦国後期頃には加治氏の領有となっていた(「能登内浦村々給人注文写」諸橋文書)

天正一三年(一五八五)六月一八日の免定写(当摩文書)に「はちか崎」とみえ、免引は四ツ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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