馬橋村(読み)まばしむら

日本歴史地名大系 「馬橋村」の解説

馬橋村
まばしむら

[現在地名]松戸市馬橋・旭町あさひちよう西馬橋幸町にしまばしさいわいちよう西馬橋蔵元町にしまばしくらもとちよう西馬橋広手町にしまばしひろてちよう西馬橋相川町にしまばしあいかわちよう

中根なかね村の北に位置し、水戸道が通る。当地は同道の松戸宿と小金こがね宿の間の宿にあたり、一里塚があった。また千葉頼胤開基を伝える古刹萬満まんまん寺がある。「本土寺過去帳」にはマハシ・間橋・馬橋などの表記で地名が散見する。年紀のあるものでは同過去帳二九日の妙蓮尼に「マハシ」と注記があり、永享一二年(一四四〇)一〇月とあるのが早い。永正一四年(一五一七)閏一〇月一七日、畔蒜右京亮瑞幸と戸部三郎左衛門が当地で討死している(同過去帳)。畔蒜らは名字から高城氏家臣と推定される。同過去帳には当地に関連する高城氏結縁者として高城孫八(文明八年三月)・高城安芸入道(同一五年三月)・高城安芸道友入道(明応四年四月)などが記されており、高城氏の当地支配を推測させる。


馬橋村
まばしむら

[現在地名]酒々井町馬橋

本佐倉もとさくら村の南東、高崎たかさき川中流左岸台地上に位置。天正一八年(一五九〇)一〇月の松平伊昌知行書立に村名がみえ、伊昌の知行地二千石のうち。慶長九年(一六〇四)八月の検地帳(馬橋区有文書)には印旛郡印東いんとう庄馬橋之郷とあり、田一八町一反余(うち永不作一反余)、畑六町三反余(うち永不作三町余)、屋敷三反余。元禄郷帳では高二一四石余。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚によると夫役永六三〇文余・栗代永九五文・林下刈代金一両・山銭鐚三貫八二四文・野銭永五五文。


馬橋村
まばしむら

[現在地名]杉並区高円寺南こうえんじみなみ三丁目・阿佐谷南あさがやみなみ三丁目・高円寺北こうえんじきた三―四丁目

和田わだ村の北、高円寺村の西に位置する。南部を青梅おうめ街道、また青梅街道から中野村(現中野区)で分岐して、当村から阿佐ヶ谷村、下石神井しもしやくじい(現練馬区)を経て武蔵国所沢に至る道(所沢道)が通る。田園簿によれば田方四二石余・畑方八二石余、ほかに野銭永三貫四六四文、幕府領。延宝二年(一六七四)の検地帳(大谷家文書)では田・畑・萱野・屋敷地合せて六六町八反余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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