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因幡国 いなばのくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

因幡国
いなばのくに

現在の鳥取県東半部。山陰道の一国。上国。もと稲葉国造が支配。『日本書紀』垂仁天皇 23年の条には鳥取国造についての説話が記されている。国府,国分寺ともに鳥取市国府町。『延喜式』には巨濃 (この) ,法美 (はふみ) 郡,邑美 (おふみ) 郡,高草 (たかくさ) 郡,気多 (けた) 郡,八上 (やかみ) 郡,知頭 (ちつ) 郡の7郡の記載があり,『和名抄』には郷 50,田 7914町余とある。鎌倉時代守護は明らかでないが,末期の元徳1 (1329) 年には海老名維則が守護であった。建武中興のとき名和長年伯耆守として当国の守護を兼ねた。南北朝時代室町時代には吉良氏,今川氏両氏に次いで山名氏が守護大名であった。織田信長は宮部継潤を鳥取に封じ,豊臣秀吉は宮部氏のほかに亀井氏を鹿野に封じた。江戸時代には,元和3 (1617) 年池田光政が鳥取城主に封じられ,因幡国,伯耆国両国 32万石を領した。以後池田一族により支配が続けられ幕末にいたった。ほかに池田一族の若桜藩,鹿奴藩があったが,両藩は明治1 (1868) 年鳥取藩に合併。鳥取藩は同4年の廃藩置県で鳥取県となる。

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デジタル大辞泉の解説

いなば‐の‐くに【因幡国】

因幡

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百科事典マイペディアの解説

因幡国【いなばのくに】

旧国名。因州とも。山陰道の一国。現在鳥取県東部。《延喜式》に上国,7郡。中世,海老名・山名氏らが守護。近世,池田氏の所領。→鳥取藩
→関連項目国府[町]中国地方鳥取[県]

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

いなばのくに【因幡国】

現在の鳥取県東半部を占めた旧国名。律令(りつりょう)制下で山陰道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は上国(じょうこく)で、京からの距離では近国(きんごく)とされた。国府と国分寺はともに現在の鳥取市国府(こくふ)町におかれていた。大伴家持(おおとものやかもち)国司として在任中に『万葉集』の最後の歌をこの地で詠んでいる。鎌倉時代には海老名(えびな)氏、南北朝時代から室町時代には山名氏が領国支配を展開。近世は池田氏が支配して幕末に至った。1871年(明治4)の廃藩置県により鳥取県となるが、1876年(明治9)に島根県に編入、鳥取士族らの運動が実り、1881年(明治14)に再び鳥取県がおかれた。◇因州(いんしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

いなばのくに【因幡国】

旧国名。因州。現在の鳥取県の東半部。
【古代】
 山陰道に属する上国(《延喜式》)。律令制下の因幡国は巨濃(この),邑美(おうみ),法美(ほうみ),八上(やかみ),智頭(ちず),高草,気多(けた)の7郡50郷からなり,国府は千代川の支流袋川流域の法美郡稲羽郷に置かれた。国内中央部を北流して日本海にそそぐ千代川流域周辺は,大化前代以来因幡国の政治・文化の中心地をなしており,この地域には多数の前方後円墳が築造され,条里制遺構も顕著で,国府周辺の国分寺をはじめ古廃寺跡も多数存する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

因幡国
いなばのくに

鳥取県東半部の旧国名。山陰道八か国の一つ。東を但馬(たじま)、西を伯耆(ほうき)、南を播磨(はりま)・美作(みまさか)に接し、北は日本海に面している。南部には中国山地の連峰があり、山地が多い。中央部を千代(せんだい)川が貫流し、下流に鳥取平野が開け、海岸には砂丘が発達している。鳥取平野の南東にある国史跡梶山(かじやま)古墳は彩色壁画をもち、このほかにも線刻壁画をもつ古墳が数多く存在し、装飾古墳は因幡の古墳文化を特色づけるものである。『延喜式(えんぎしき)』によると因幡国は、巨濃(この)、法美(ほうみ)、邑美(おうみ)、八上(やかみ)、智頭(ちず)、高草(たかくさ)、気多(けた)の7郡50郷であった。『和名抄(わみょうしょう)』によると法美郡に稲羽(いなば)(稲葉)郷があり、この郷に国庁、国分寺などが置かれた(鳥取市国府町)。『万葉集』最後の一首は国司大伴家持(おおとものやかもち)がこの地で詠んだものである。このころ高草郡湖山池(こやまいけ)の東岸に東大寺領高庭荘(たかばのしょう)が開かれた。鎌倉時代には、佐々木高綱(たかつな)、海老名維則(えびなこれのり)が、建武(けんむ)新政では名和長年(なわながとし)、南北朝期には山名時氏(やまなときうじ)が守護となり、以後山名氏が因幡国を領有した。中世後期には漆、鉄、鋳物が産物としてあげられる。戦国末期に山名氏は本拠を邑美郡久松山の鳥取城に移し、以後この城下が因幡の中心地となった。1580年(天正8)豊臣(とよとみ)秀吉に攻められて山名氏は滅び、因幡には宮部、亀井、垣屋、木下の諸大名が入った。1600年(慶長5)関ヶ原の戦いにより、池田、山崎、亀井の諸大名が分割統治したが、1617年(元和3)池田光政(みつまさ)が因幡・伯耆32万石の領主として播磨(兵庫県)から因幡に移り、さらに1632年(寛永9)光政が備前(びぜん)岡山に移され、そのあとに従弟(いとこ)の池田光仲が備前から入った。以後、光仲の子孫が相伝えて幕末に至った。近世産業の中心は米作であるが、ほかに銅、生蝋(きろう)、椀(わん)、折敷(おしき)、紙などがある。学者大名池田冠山(かんざん)(定常。鳥取池田の分家鉄砲洲(てっぽうず)家1万5000石)、蘭学者(らんがくしゃ)稲村三伯(さんぱく)、歌人香川景樹(かげき)らはいずれも因幡の人である。
 1871年(明治4)廃藩置県によって、因幡・伯耆両国の鳥取藩はそのまま鳥取県となったが、76年島根県と合併した。鳥取士族の再置運動の結果、81年ふたたび鳥取県が置かれ、現在に及んでいる。[福井淳人]
『『鳥取県史』全18巻(1969~82・鳥取県) ▽『鳥取県郷土史』(1932・鳥取県/復刻版・1973・名著出版) ▽山中寿夫著『鳥取県の歴史』(1970・山川出版社) ▽徳永職男他著『ふるさとの歴史・江戸時代の因伯』上下(1978、80・新日本海新聞社)』

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