八地谷・道福谷(読み)やちだに・どうふくだに

日本歴史地名大系 「八地谷・道福谷」の解説

八地谷・道福谷
やちだに・どうふくだに

[現在地名]福井市城戸内町

一乗谷の城戸内きどのうち付近で西側に延びる谷。八地谷は城戸内のほぼ中央、道福谷は下流下城戸と八地谷との中間にある。古くから八地千軒・道福千軒とよばれ、「越藩拾遺録」に「西ノ方ニハ矢地千軒屋鋪ノ跡所々ニ其形残レリ」とあり、山麓の傾斜地に階段状の小平坦地が幾つもあることから、下級武士の居住地域であったといわれる。

八地谷の中央を東西に走る土塁を挟んで南側に七三の墓碑板碑などが集中し、いずれも日蓮宗系のものであるが、天正五年(一五七七)一乗谷「谷知村」より北庄きたのしようへ移ったという谷知山泰了院顕本けんぽん寺跡ともいわれる。延徳二年(一四九〇)一乗谷を訪れた連歌師正広の「松下集」詞書に「妙満寺末寺顕本寺とて一乗にあり」とみえるが、現在福井市左内さない町にある顕本寺は法華宗本門流で、寺伝に明応年中(一四九二―一五〇一)真言宗を改宗して本能寺六祖日増の再建とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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