八尾山城跡(読み)やつおさんじようあと

日本歴史地名大系 「八尾山城跡」の解説

八尾山城跡
やつおさんじようあと

[現在地名]府中市出口町・本山町

府中市街地の北方にある八尾山(三四六メートル)の山頂にあり、郭・空堀・土塁跡などが残る。八尾城ともよばれる。府中市はいうに及ばず東は深安郡神辺かんなべ町、西は御調みつぎ御調町まで遠望でき、北はかめヶ岳(五三九・四メートル)に続く絶好の場所にある。建仁二年(一二〇二)杉原光平の築城というが不詳。

「西備名区」は「当城日呑山(亀ヶ岳)の南方半腹にさし出たる孤丘也、此城地に上る道八つあり、麓に流尾八つあり、故に八尾城と云ふなり」と記す。建武三年(一三三六)以後杉原氏の惣領家の者と思われる泰綱・光房・親光らが当城を本拠として守護代的役割を果し、足利直冬方として行動していたようであるが、庶流と思われる信平・為平兄弟、信平の子光信らは尊氏方として行動し、のちこの系統から山手やまて(現福山市)銀山ぎんざん城主神辺(現深安郡神辺町)の神辺城主が出、備南を支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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