日本大百科全書(ニッポニカ) 「八幡製鉄所罷業」の意味・わかりやすい解説
八幡製鉄所罷業
やはたせいてつしょひぎょう
1920年(大正9)八幡製鉄所に起きた大ストライキ。1918年秋、待遇改善を要求した1万数千人の自然発生的サボタージュが起こった。翌19年8月職工西田健太郎は労働組合の設立を計画して解雇されたが、10月に浅原健三らと日本労友会を結成して職工を組織した。12月末に製鉄所が、職工の重大な収入源であった時間外勤務を規制する職工規則の改定を発表すると、労友会は賃金3割増額、割増金の平等支給、勤務時間短縮などを求めて闘争準備に入った。これに対し製鉄所は20年2月労友会幹部ら6名を解雇したため、労友会は2月5日未明2万数千名を率いてストに突入した。ここに開所以来初めて溶鉱炉の火が止められた。浅原、西田ら争議団幹部はほどなく検挙され、9日平常に復したが、製鉄所側が勤務時間短縮などの要求をすべて拒否したため24日再度ストに入った。しかし製鉄所の無期限休業発表・実施と中心人物の検挙のため動揺をきたした組合側は無条件就業を余儀なくされ、3月2日争議は終了した。争議後、製鉄所は時間短縮(12時間2交代→9時間3交代)と約11%の賃上げを発表した。
[吉見義明]