八木国夫(読み)ヤギ クニオ

20世紀日本人名事典 「八木国夫」の解説

八木 国夫
ヤギ クニオ

昭和・平成期の生化学者 名古屋大学名誉教授;フランス名誉領事。



生年
大正8(1919)年6月24日

没年
平成15(2003)年10月16日

出生地
神奈川県横浜市

別名
筆名=栖木 了(スミキ リョウ)

学歴〔年〕
名古屋帝国大学医学部〔昭和17年〕卒

学位〔年〕
医学博士(名古屋大学)〔昭和22年〕,理学博士(名古屋大学)〔昭和33年〕

主な受賞名〔年〕
中日文化賞〔昭和29年〕,日本ビタミン学会賞(昭36年度)「フラビン酵素に関する研究」,東レ科学技術賞(昭47年度)〔昭和48年〕「フラビンおよびフラビン酵素の研究」,日本医師会医学賞〔昭和48年〕,フランス文化勲章〔昭和50年〕,フランス国家功労勲章〔昭和56年〕,日本学士院賞〔昭和57年〕,ニコラス・コペルニクス医科大学(ポーランド)名誉博士号〔昭和61年〕,勲二等瑞宝章〔平成1年〕,東海テレビ文化賞(第25回)〔平成4年〕,ユーリウ・ハッツエガヌ医科大学(ルーマニア)名誉博士号〔平成7年〕

経歴
名古屋帝国大学助手、名古屋大学医学部講師、昭和23年助教授を経て、37年教授。58年名誉教授となり、同年応用生化学研究所を設立して所長就任。この間、30〜32年フランス生物物理化学研究所ならびにスウェーデン・ノーベル医学研究所にて在外研究。53年日本学術会議会員に選ばれ、60年副会長。また56年国際生化学分子生物学連合(IUB)財務理事、平成6年総裁を務めた。人間の老化メカニズムの解明に取り組み、生活習慣病や老化の原因物質となる脂質過酸化物を“過酸化脂質”と命名。一方、遺伝子患者細胞に取り込ませる人口膜を開発するなど、遺伝子治療分野にも貢献した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「八木国夫」の解説

八木国夫 やぎ-くにお

1919-2003 昭和後期-平成時代の生化学者。
大正8年6月24日生まれ。昭和37年名大教授となる。58年応用生化学研究所長。酵素・基質複合体の結晶化に成功し,過酸化脂質の微量測定法を開発した。フラビン酵素の研究で,57年学士院賞。平成6年国際生化学分子生物学連合総裁。平成15年10月16日死去。84歳。神奈川県出身。名古屋帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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