日本歴史地名大系 「八角分」の解説 八角分やすみぶん 福島県:会津若松市旧一箕村地区八角分[現在地名]会津若松市旭町(あさひまち)・行仁町(ぎようにんまち)・千石町(せんごくまち)・一箕町(いつきまち)八角(やすみ)東は慶山(けいざん)村・牛墓(うしがはか)村、西は若松城下の行人(ぎようにん)町・東名子屋(ひがしなごや)町、南は千石町分、北は蚕養(こがい)分・滝沢(たきざわ)町に接し、若松町分の一つで東黒川(ひがしくろかわ)に属する。昔は八角神社を中心とし、八角村とよばれる広い地域であったが、文禄年間(一五九二―九六)の城下町改造のとき甲賀(こうか)町以東が街市として増設されたため、東半分のみが八角分となったと思われる。そのためか化政期の家数は七一だが、その内訳は「滝沢町の南に住するを中村と云家数九軒、外の六十二軒は市中に雑居」となっている(新編会津風土記)。貞治二年(一三六三)一〇月二五日の三善康秀田地売券案(会津旧事雑考)によれば、「大会津郡東十二村之内、八角之邑一分之地頭神山善六之知行之田地之事、合二段六百苅者坪付中島二百卅刈 細田三百七十刈」を実相(じつそう)寺に売渡している。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by