加藤明成(読み)かとう あきなり

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「加藤明成」の解説

加藤明成 かとう-あきなり

1592-1661 江戸時代前期の大名
文禄(ぶんろく)元年生まれ。加藤嘉明の子。寛永8年(1631)陸奥(むつ)会津(あいづ)藩(福島県)藩主加藤家2代となる。若松城の大改修をめぐり家臣堀主水(もんど)と対立。主水の幕府への訴えはしりぞけられ,主水を斬罪に処した。のち病気で会津40万石を返上したが,子明友には石見(いわみ)(島根県)吉永に1万石があたえられた。万治(まんじ)4年1月21日死去。70歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の加藤明成の言及

【会津騒動】より

…17世紀中ごろに会津加藤家で起きた御家騒動。1639年(寛永16)4月加藤明成の重臣堀主水は妻子一族従者300余人を率い,会津を出奔して高野山を頼ったが,翌年紀州徳川領をへて江戸に走り,明成の会津城修築,関所設置のことなどを幕府に訴えた。41年幕府は,挙兵出奔などによって君臣の礼を失し国家の大法を乱したかどで主水とその弟多賀井又八郎・真鍋小兵衛を明成に賜り,処断させた。…

※「加藤明成」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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