八鍬村(読み)やくわむら

日本歴史地名大系 「八鍬村」の解説

八鍬村
やくわむら

[現在地名]寒河江市八鍬・高松たかまつ

米沢よなざわ村の東、寒河江川南岸の河岸段丘上に位置し、六十里越街道が通る。かつては長岡ながおか山北方の台地馬坂まのさか付近にあり、のち寒河江川畔の万戒清水まんかいしみず付近に移動、さらに川欠けのため天正年間(一五七三―九二)現在地に移ったと推定されている。馬坂の万年まんねん堂は寒河江庄地頭大江氏から慈恩じおん寺領八鍬の管理を命ぜられた工藤家の氏神であったと伝える。

〔中世〕

南北朝期以降の慈恩寺関係文書に寒河江庄(南方)八鍬村・八鍬郷がみえ、村内に同寺領があった(嘉吉二年一一月二七日「平三家吉売券」宝林坊文書など)。応安二年(一三六九)七月二五日の権律師幸俊田地補任状(同文書)には、「合五段者、八鍬村在之、七月十四日、右以人為彼職、任相伝之(旨カ)、阿闍梨善賀所補任也、(但カ)有限於寺役者、守先例、無懈怠可令勤仕者也」とある。慈恩寺宝林坊文書中の補任状・売券などには「中田面」(応永三年一二月二七日新熊野夏僧膳田補任状)、「樋口(同二五年一二月一三日供僧職三昧田補任状)、「石間打」(嘉吉二年一一月二七日阿闍梨善能売券)、「かにつくり」(文明五年一二月二〇日竹内坊売券)、「川のはた(明応五年一一月一七日越前国介・兵庫売券)などの地名がみえ、田積は段・刈の単位で表示されていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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