日本歴史地名大系 「八風越」の解説
八風越
はつぷうごえ
鈴鹿山脈の東麓、
大永六年(一五二六)春連歌師宗長は、駿河よりの帰路八風峠を越えた。「宗長手記」には「俄の合戦注進。思ふにかなはぬ世中、引かへし八峯峠になりぬ。(中略)この峠は昔より馬輿とをらぬ子細ありと聞とも、老の足一あしもすゝます。人に負るれは胸いたみいきもたえ、谷にも落入ぬへくおほえはへれは、老のこしかき二三十人、梅戸よりやとひよひて、左右の大石をふまへ、おち滝津波をまたけ、度々心をまとひし。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報