八鹿高校事件(読み)ようかこうこうじけん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「八鹿高校事件」の意味・わかりやすい解説

八鹿高校事件
ようかこうこうじけん

1974年兵庫県八鹿町の県立八鹿高校で起こった同和教育をめぐる事件。 11月 22日教師側との話し合いを求めハンガーストライキを決行した部落解放研究会メンバーの生徒を無視して集団下校を始めた教師らに対し,部落解放同盟を中心とする八鹿高校差別教育糾弾闘争会議が教師らを同校体育館に監禁暴行を加えるなどした。事件前,八鹿高校では被差別部落出身の生徒が設立した新組織,部落解放研究会の承認をめぐって緊張が高まっていた。同事件をはじめ,部落解放同盟が南但馬地方で起こした差別糾弾闘争の一連の事件により,部落解放同盟のメンバー 13人が逮捕監禁,傷害などの罪で訴えられた。 1983年 12月神戸地方裁判所は懲役3年 (執行猶予4年) を最高とする有罪判決を被告人全員に言い渡し,1988年3月大阪高等裁判所もこれを支持,1990年 11月最高裁判所は被告側の上告を棄却したため,一審判決が確定した。

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世界大百科事典(旧版)内の八鹿高校事件の言及

【被差別部落】より

…なお,この事件は,部落解放同盟と対立する〈正常化連〉(前述)が結成されるにいたった主要因の一つに数えられている。
[八鹿高校事件]
 次は,1974年11月に兵庫県養父郡八鹿(ようか)町で起こった〈八鹿高校事件〉であり,部落解放同盟側と日本共産党側との対立がいっそう顕然化するなかで発生した事件である。事件発生当初より,日本共産党は機関紙《赤旗》その他を通じて〈法治国に許せぬ大暴力事件〉〈大集団リンチ事件〉として報道を開始し,以後もその観点を一貫して大規模な組織的宣伝活動をくりひろげ,これには部落解放同盟も,事件にいたるまでの相手側の〈挑発〉的言動への批判を中心にしつつ当然反論を加えつづけた。…

※「八鹿高校事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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