ポルトガル文学(読み)ぽるとがるぶんがく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「ポルトガル文学」の意味・わかりやすい解説

ポルトガル文学
ぽるとがるぶんがく

ポルトガルの文学はその起源を南フランス地中海沿岸のプロバンスにもち、その主流は叙情詩であった。最古のものは、吟遊詩人パイオ・ソアーレス・デ・タベイロースの叙情的恋愛詩(1189)で、以後、ディニス王(在位1279~1325)はじめ吟遊詩人が輩出した。散文では、『遺産分配の書』(1192)が最古の文献で、ほかに僧侶(そうりょ)による聖者の言行録、系譜の書、貴族名簿、騎士物語がある。

[濱口乃二雄]

19世紀まで

15世紀にはポルトガル語もしだいに洗練され、スペイン詩派の因襲的宮廷詩が流行、散文では宮廷の教訓的散文とロペスなどの編年史が登場した。16世紀にはイタリアのルネサンスの影響で、ポルトガルも文学の黄金時代を迎えた。イタリアの詩型を導入した詩人ミランダ、国民劇の創始者ビセンテ、『牧歌』(1554)のB・リベイロなどが注目に値し、愛国的叙事詩『ウス・ルジーアダス』(1572)で著名な詩聖カモンイスは、ソネット(十四行詩)においても不朽の名編を残している。また、この世紀にはポルトガルの海外発展の結果、探検記、旅行記、歴史書などが著され、旅行家ピント(1509ごろ―1583)のほかに、バーロス、ゴイスなどの歴史家が傑出する。17世紀はいわゆる「ゴンゴリズモ」(極端な技巧を重んずるバロック詩の様式)の時代で、政治と同じく文学も衰微の道をたどったが、18世紀に入ると、その反動として、フランスに倣(なら)ったアカデミアの創設がみられ、代表的詩人としてソネットのボカージェが知られている。

 19世紀にはロマン主義が始まり、詩人・劇作家ガレット、歴史小説家として一世を風靡(ふうび)したエルクラーノ、詩人カスティーリョのほか、カステロ・ブランコ、ディニースの2人の作家が注目される。19世紀後半は写実主義時代で、詩人ケンタールと文豪ケイロースを中心に、ジュンケイロ、ブラーガなどの詩人が活躍した。ほかに象徴派の詩人E・カストロ、日本を紹介した随筆家モラエス(モライス)の存在も忘れがたい。

[濱口乃二雄]

20世紀以降

20世紀になると、近代主義の代表的詩人ペソーアが異彩を放ち、また『プレゼンサ』誌(1927~1940)の主要な詩人J・レジオJosé Régio(1901―1969)、同誌の寄稿者で作家のT・フィゲイレードがいる。地方主義作家のA・リベイロの代表作は短編集『サンティアゴの道』(1922)で、長編では『悪魔の地』(1919)がある。優れた短編作家ミゲル・トルガMiguel Torga(1907―1995)は、短編集『動物たち』(1940。邦訳『方舟(はこぶね)』)を残した。また新写実主義の作家ではF・カストロFerreira de Castro(1898―1974)、レドール、ナモーラが、詩人ではディオニージオがあげられる。なお郷土の生活を描いたアゾレス諸島出身の作家ネメージオ、女性作家ベッサ・ルイース、実存主義の作家V・フェレイラVergílio Ferreira(1916―1996)が注目される。そのほか20世紀の代表的作家として、カルロス・デ・オリベイラCarlos de Oliveira(1921―1981)やジョゼー・カルドーゾ・ピレスJosé Cardoso Pires(1925―1998)も忘れてはならない。現代ポルトガル文学は、これらの先人を通して継承した力を維持して活気があり、詩、小説、随筆の執筆活動が盛んである。以下、主要な作家と作品を概観してみよう。

 1974年4月25日の革命によって、カエタノ政権は倒れ、およそ半世紀にわたるサラザール体制が崩壊した。この革命の直後に、作品を支配する社会的な偶発的できごととしては、まず第一にアフリカにおける植民地主義戦争の自殺的政策があり、次にヨーロッパのもっとも豊かな国々や北アメリカへ移民する人々の、人間としての品位の低下がある。さらに仕事、結婚、社会的発展の展望の欠如または少なさである。

 四月革命後の、新たな大きなテーマとして、散文では、女性作家リディア・ジョルジェLídia Jorge(1946― )の『驚異の日』(1980)が追求したテーマがある。1974年の革命と同時に、1匹の蛇(へび)が飛んで逃げたという。村人たちは個人や家族の諸問題に直面して、革命兵士たちが村を通過するときに、蛇の異常な行動を説明してもらおうと待ち受けていた。しかし、それは起こらなかった。そこで、村人たちは諸問題の解決は自分自身にかかっていると納得した。ジョルジェはこの作品でポルトガルのジレンマ、つまり、夢想する力と行動する弱さを指摘した。

 またナモーラは、『悲しき河』(1982)で、移民の時事的問題を取り上げている。1974年の革命直後に姿を消した、リスボンの多国籍企業に勤務する主人公の運命を辿(たど)りながら、当時の一作家の生活上の諸問題、両親と娘、秘密警察に関する謎、植民地戦争などについて語っている。

 アルメイダ・ファリーアAlmeida Faria(1943― )の『ルジタニア』(1980)も、1974年の四月革命と移民、植民地戦争、土地の割り当てなどをテーマにした、アラビア人たちに拉致(らち)されてベネチアに連れ去られた一人の若者とその恋人をめぐる短い物語である。本書は書翰(しょかん)体で構成されており、手紙と作者自身によって語られる数章を通して、読者は1974年の革命とポルトガルにおけるその反響を知ることになる。

 ジョゼー・サラマーゴは、1980年代に入って頭角を現し、透徹した現実認識と詩的空想を組み合わせ、独創的で美しい充実した小説群を発表する。その代表作は『修道院回想録――バルタザルとブリムンダ』(1982)で、壮麗な修道院の建築の物語は、叙事詩的に語られた歴史のなかで、国家的大事業の犠牲になった下層の人々の受難を寓意(ぐうい)的に表現している。小説『リカルド・レイスの死の年』(1984)の主人公リカルド・レイスはポルトガルを代表する実在の詩人フェルナンド・ペソーアの異名である。この作品は、スペインの共和国政府に対するフランコ将軍の軍事反乱(スペイン内乱)が始まった1936年を背景にして、ブラジルから帰国してリスボンで死ぬという設定のリカルド・レイス、そのもう一人の人格であるフェルナンド・ペソーアの幻影、愛人リディアらが登場する想像の小説である。小説『イエス・キリストによる福音書』(1991)は、基本的な特定の事実、特定の歴史上のできごとに基づく小説である。この小説は、反教義的で、キリスト教の教義の根源を問いただすとともに、かつてないほど精神的危機を内包した現代に、信仰と懐疑にかかわるさまざまな疑問を突き付けている。

 小説『石の筏(いかだ)』(1986)は、当時のヨーロッパ共同体(EC)へのポルトガルの統合に疑問を投げかける、きわめてアクチュアルな作品となっている。サラマーゴはこの小説で、イベリア半島の2国、ポルトガルとスペインを巨大な石の筏のように移動させ、ブラジルとアフリカの中間の大西洋上に投錨(とうびょう)させた。この壮大な空想力で構想された作品は、ヨーロッパ共同体に統合されれば、高度な資本主義への道を歩まざるをえなくなるポルトガルの将来に警鐘を鳴らし、ヨーロッパからの分離を提案している。以上の主要な作品のほかに、『盲目についてのエッセイ』(1995)や、『あらゆる名前』(1997)などがある。サラマーゴは、1998年ノーベル文学賞を受賞した。

 アントニオ・ローボ・アントゥーネスAntónio Lobo Antunes(1942― )は、ノーベル文学賞が話題になる精神科医で、1987年フランス・ポルトガル文学賞を受賞したもっとも人気のある『ユダの尻』(1979)では植民地戦争の、『アレクサンドラン(十二音節詩句)のファド』(1983)では四月革命のありさまが、そして『ナウ船』(1988)では象徴的な歴史上の人物たちと時機の解明が、語られている(ナウ船とは大型帆船のこと)。精神分析学者として、またアンゴラでの植民地戦争の軍医としての自身の経験による作品が多いが、四月革命やポルトガル史を題材にした作品もある。作品はきわめて自由な構成と隠喩(いんゆ)と想像力に満ちた文章によって特徴づけられていて、過渡的な時代におけるポルトガル社会の矛盾が際だっている。

 さらに、バレーノMaria Isabel Barreno(1939― )、コスタMaria Velho da Costa(1938― )、オルタMaria Teresa Horta(1937― )など女性の解放を扱った女性作家の活躍が目だつ。

[濱口乃二雄]

『ルイース・デ・カモンイス著、小林英夫・池上岑夫・岡村多希子訳『ウズ・ルジアダス』(1978・岩波書店)』『濱口乃二雄著『世界の旅路5 ポルトガル文学のしおり』(1979・千趣会)』『フェルナン・メンデス・ピント著、岡村多希子訳『東洋遍歴記』全3巻(1979~80・平凡社)』『フェルナンド・ラモーラ著、彌永史郎訳『たったひとつのオレンジ』(1980・彩流社)』『ミゲル・トルカ、岡村多希子訳『方舟』(1985・彩流社)』『フェルナンド・ペソーア著、池上岑夫訳『ポルトガルの海』(1985・彩流社)』『ヴェンセズラウ・モラエス著、岡村多希子訳『おヨネとコハル』(1989・彩流社)』『濱口乃二雄著『近代ポルトガル文学選集(対訳)』(1990・京都外大濱口研究室)』『C・オリヴェイラ著、彌永史郎訳『雨の中の蜜蜂』(1991・彩流社)』『E・ケイロース著、彌永史郎訳『縛り首の丘』(1996・白水社)』『W・モラエス著、岡村多希子訳『日本精神』(1996・彩流社)』『W・モラエス著、岡村多希子訳『徳島の盆踊り』(1998・講談社)』『ジョゼー・サラマーゴ著、星野祐子訳『あらゆる名前』(2001・彩流社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ポルトガル文学」の意味・わかりやすい解説

ポルトガル文学
ポルトガルぶんがく
Portuguese literature

ポルトガルマデイラ諸島アゾレス諸島において,ポルトガル語で書かれた文学作品の総称。ポルトガル語は 13世紀にロマンス語派の一言語として現れ,1350年頃にはコインブラからリスボンにかけての地域で話されていたものが,標準口語となった。中世初期は,プロバンスの吟遊詩人の影響を受けた田園詩(→牧歌)およびスペインの影響を受けた宮廷詩が盛んで,特に口承の物語に深く根ざした恋愛詩は,イベリア半島全体に広まって大きな影響を与えた。これらの詩はすべて,ポルトガル北部とスペインのガリシア地方で成立したガリシア・ポルトガル語(→ガリシア語)で書かれ,プロバンスやフランスの洗練された恋愛詩とは対照的な独自の新鮮味があった。15世紀にはイタリア・ルネサンスの影響で,自然や死への興味が喚起され,様式にも変化が現れた。1411年にカスティリアとの戦争が終わると,国王の指示で公的な年代記の編纂者が定められた。歴史書はポルトガル文学において重要な位置を占めるようになり,代々の国王や偉人の業績や人柄を,事実に基づいて描くことが最も重視された。フェルナン・ロペスは 15世紀の優れた年代記作家であり,文学作品として十分鑑賞に耐えうる歴史書を残した。
16世紀の大航海時代は,文学に異国趣味や冒険の香りが吹き込まれ,特に詩や田園小説に影響を与えた。ルイース・バス・デ・カモンイスは,抒情詩においても叙事詩においても卓越した才能を発揮し,人間の苦悩と時代の栄光を表現した。また 16世紀初期には宮廷劇が登場した。ポルトガル国民劇の創始者ジル・ビセンテは,当時のポルトガル社会を生き生きと描き,大衆を大いにひきつけた。スペインに併合された 1580~1640年は,文学にとっても苦難の時代であった。スペインの影響を強く受けたが,それと同時にポルトガル文学はスペイン語訳を介して,広くヨーロッパに知られるようになった。これまでの田園小説の流行が続く一方で,新たに宗教や道徳を主題とした対話集が高度に洗練されたスタイルとなって現れた。18世紀になるとポルトガル文学は改革の時代に入り,フランスの文学や哲学の影響を受けるようになった。詩の分野における新古典主義は極端に形式にこだわるあまり,真の古典主義の活力を失った。18世紀後期には,抒情詩に新しいスタイルと作風が現れる。また,衰退を続けていた戯曲は,社会批判劇で絶大な人気を得たブラジル生まれのアントーニオ・ジョゼ・ダ・シルバの作品によって再生したが,シルバは宗教裁判の犠牲となった。
19世紀初めに自由主義革命が起こり,立憲君主制が確立されるのと呼応して,ロマン主義が流入した。戯曲や小説が華やかに開花する一方で,詩は内省的なものになり,社会問題に着目した作品が多く生まれた。1870年にはジョゼ・マリーア・エッサ・デ・ケイロースとセザーリオ・ベルデらの新しい世代の作家たちが,ポルトガル近代化運動の一翼を担い,批判精神という新風を吹き込んで小説や詩の分野でリアリズムを確立した。20世紀に入ると,モダニズムと実験的な文学がポルトガル文学にそれまでにない様相を与えた。ポルトガルの近代主義を代表する詩人フェルナンド・ペッソアは国外でも高い評価を受け,その後の第2次近代主義運動,新写実主義の動きのなかでビトリーノ・ネメージオ,アンテーロ・デ・フィゲイレード,ベルジリオ・フェレイラ,フェルナンド・ナモーラらが登場した。女性作家では『巫女(みこ)』で不動の地位を築いたアグスティーナ・ベッサ・ルイース,『新ポルトガル文』の共著者マリーア・ベーリョ・ダ・コスタ,マリーア・イザベル・バレーノおよびマリーア・テレーザ・オルタらが活躍している。

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