小説家。静岡県生まれ。20歳でカトリック受洗。1950年(昭和25)東京大学国文科入学。1953年『東海のほとり』を雑誌『近代文学』に発表。同年渡仏してパリ大学などに学び、単車で地中海沿岸を旅する。1956年帰国。翌年飯島耕一らと同人雑誌『青銅時代』を創刊、ヨーロッパ体験に基づいた短編『アポロンの島』などを書き、自費出版する。この私家版『アポロンの島』(1957)が1965年島尾敏雄(としお)によって激賞され、文壇の第一線に登場する契機となった。自然や人間存在の原形を、緊張した硬質な文体によって描き出す筆法は全作品に共通するが、小川国夫自身は、自分の作風にほぼ三筋の流れがあると語っていた。第一は聖書の世界からイメージされた物語の流れであり、『或(あ)る聖書』(1973)や作品集『血と幻』(1979)、ダビデを描いた『王歌』(1988)など。また『イエスの風景』(1982)、『聖書と終末論』(1987)、『私の聖書』(1994)などキリスト教にかかわる随筆も多い。第二は故郷大井川流域を舞台にした「架構のドラマ」の流れであり、生と死と自然の奥にある根源の力を問おうとする『試みの岸』(1972)、青春の一時期を凝視した『青銅時代』(1974)など。第三は多少の潤色を加えた私小説風の流れとして、作品集『彼の故郷』(1974)や、川端康成(かわばたやすなり)文学賞を受けた『逸民(いつみん)』(1986)などがあげられる。ほかに、司修(つかさおさむ)(1936― )の挿絵を織り込んだファンタジー『遠つ海の物語』(1989)や、『朝日新聞』に長期連載された小説『悲しみの港』(1994)、エッセイ集『一房の葡萄(ぶどう)』(1970)、『ヴァン・ゴッホ』(1986)などがある。2000年、日本芸術院賞を受賞した。
[柳沢孝子]
『『小川国夫作品集』6巻・別巻1(1974~76・河出書房新社)』▽『『小川国夫全集』16巻(1992~95・小沢書店)』▽『『アポロンの島』(講談社文芸文庫)』▽『『悲しみの港』(朝日文芸文庫)』▽『吉田精一他著『小川国夫光と闇』(1974・おりじん書房)』▽『粂田和夫著『小川国夫の世界』(1984・和泉書院)』▽『丹羽正著『魅せられた魂――小川国夫への手紙』(1996・小沢書店)』▽『立原正秋・小川国夫著『冬の二人――立原正秋 小川国夫 往復書簡』(1996・小沢書店)』▽『山本恵一郎著『若き小川国夫――「アポロンの島」の十年』(1996・小沢書店)』▽『古屋健三著『「内向の世代」論』(1998・慶応義塾大学出版会)』▽『勝呂奏著『荒野に叫ぶ声――小川国夫文学の枢奥』(2000・審美社)』
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…この系譜は昭和に入っては中原中也や太宰治の文学につながり,芥川における東方と西方の対立はその弟子堀辰雄を経て戦後の福永武彦や遠藤周作まで受け継がれてゆくこととなる。ただこれら大正から昭和にかけての文学者たちのほとんどがキリスト者ではなかったのに対して,戦後文学が椎名麟三,遠藤周作,曾野綾子,小川国夫をはじめ多くのキリスト者作家を生み出していることは注目すべきであろう。これは椎名におけるドストエフスキーや遠藤におけるF.モーリヤックの受容にもみられるように,大戦後の状況のなかで文学と宗教をめぐる問題が日本でも,ようやく存在論的視角を持ちはじめたことの証左でもあろう。…
※「小川国夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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