公田村(読み)くでんむら

日本歴史地名大系 「公田村」の解説

公田村
くでんむら

[現在地名]戸塚区公田町

東は上野かみの村、南は今泉いまいずみ(現鎌倉市)、西は岩瀬いわせ(現鎌倉市)、北はかつら村と接し、西の笠間かさま村・小菅谷こすがや村、北の中野なかの村・上野村・鍛冶かじ村などの飛地と錯雑して接する。桂村とは境界が錯雑する。南西に富士塚ふじづか山がある。荒井沢あらいざわ川が中央を貫流し、いたち川が北方を流れる。椎郷しいごう堀が西南西の椎郷の山間に発し、桂村との入会の地を北流して笠間村境で川に入る。余流は荒井沢川の支流と合する。長谷ながやと堀が東南東の字巻能寺まきのうじの山間に発し、桂村との入会の地を北流して川に入る。鎌倉道が岩瀬村から桂村との入会地を経て、北北東の字上耕地かみこうちで二条となり、一は鍛冶ヶ谷村に通じ、一は金沢かねさわ道となる。本郷ほんごう六村の一(風土記稿)。小田原衆所領役帳には宇部左京亮「三百貫文 東郡本郷公田」とある。

公田村
くでんむら

[現在地名]前橋市公田町

北はぬでじま村、東は上佐鳥かみさどり村、南は茂右衛門分もえもんぶん村に接し、西の利根川対岸は大沢おおさわ村・萩原はぎわら(現高崎市)である。元弘三年(一三三三)一〇月日の伊達貞綱軍忠状(伊達文書)によれば、貞綱は弘安五年(一二八二)の譲状・同九年の関東下知状案などを添え相伝の公田郷一分地頭職の安堵の国宣を求め、国司新田義貞の外題安堵を得ている。天正一七年(一五八九)一二月五日の北条家朱印状(宇津木文書)によれば、福島ふくしま(現佐波郡玉村町)の百姓助丞と妻子は一一月に欠落し、「厩橋御領所公田郷」に行っていた。この逃散百姓を還住させるよう宇津木氏久に命じている。寛文郷帳に田方五六一石四斗余・畑方二九七石七斗余とあるが、これは後の下公田村・茂右衛門分村の高を含んでいる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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