朝日日本歴史人物事典 「公胤」の解説
公胤
生年:久安1(1145)
平安・鎌倉前期の天台宗の僧。明王院と称す。僧行顕(一説に源憲俊)の子。園城寺賢覚に師事,公顕に灌頂を受ける。元久2(1205)年と承元3(1209)年に園城寺 長吏に補され,承元1年に僧正となる。朝野の重要仏事に奉仕し,特に後白河法皇,後鳥羽上皇の信仰を得て,園城寺の興隆をはかった。源実朝,北条政子から鎌倉にも招請された。法然房源空著『選択集』を論破する『浄土決疑抄』を著したが,のち源空に会い,その教えに帰依して自著を破棄した。<参考文献>高瀬承厳「三井寺公胤僧正に就いて」(『仏書研究』43,44号)
(三橋正)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報