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公胤 こういん

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

公胤 こういん

1145-1216 平安後期-鎌倉時代の僧。
久安元年生まれ。天台宗。園城(おんじょう)寺でまなぶ。後白河法皇,将軍源実朝(さねとも)の帰依(きえ)をうけ,元久2年と承元(じょうげん)3年同寺長吏となる。法然(ほうねん)の専修(せんじゅ)念仏に反対し「浄土決疑鈔」をあらわしたが,法然にあって自分の非をさとり,以後念仏にはげんだ。建保(けんぽ)4年閏(うるう)6月24日(一説に20日)死去。72歳。通称は明王院僧正。

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朝日日本歴史人物事典の解説

公胤

没年:建保4.閏6.20(1216.8.5)
生年:久安1(1145)
平安・鎌倉前期の天台宗の僧。明王院と称す。僧行顕(一説に源憲俊)の子。園城寺賢覚に師事,公顕に灌頂を受ける。元久2(1205)年と承元3(1209)年に園城寺 長吏に補され,承元1年に僧正となる。朝野の重要仏事に奉仕し,特に後白河法皇,後鳥羽上皇の信仰を得て,園城寺の興隆をはかった。源実朝,北条政子から鎌倉にも招請された。法然房源空著『選択集』を論破する『浄土決疑抄』を著したが,のち源空に会い,その教えに帰依して自著を破棄した。<参考文献>高瀬承厳「三井寺公胤僧正に就いて」(『仏書研究』43,44号)

(三橋正)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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